通用しなくなった旧来の情報流通の常識--『キュレーションの時代』を書いた佐々木俊尚氏(ITジャーナリスト)に聞く
──人と人との「つながり」が大事になります。
私自身のもともとの関心事は、リアルな人間社会とITやインターネットとが接触する場所で、何が起きているのか、だった。リアルな人間社会から見ると遠く小さかったその場所が近づき、2010~11年の段階で、ついにツイッターやフェイスブックなどがリアル社会を補完するようになった。このソーシャルメディアは、むしろリアル社会を侵食し始めたといってもいい。
──一元的な情報流通の役割はもはや終わりましたか。
インターネットの発達は、マスメディア的な一元的情報流通を終わらせた。同じような情報を求めている人たちを情報ビオトープと呼んでいるが、それがどんどん細分化されると同時に、無数に出現している。そのビオトープの圏域に、マスメディアが「これはいいものだ」と何かを提示しても、一率には受け入れられなくなった。その圏域に、さまざまな「口コミ」や「つぶやき」をする人がいて、キュレーターがそれに新たな意味や位置づけを与えて整理する。キュレーターが優位性を持つ。
消費でいえば、ブランドなど社会的な価値で自分を表現しようとする「記号消費」が終わりを告げ、機能を重視しつつ、複数の人が同時に買ったり、サービスを受けたりしてつながりを感じる「つながり消費」にシフトするようになった。全体として見れば、これはまだ社会の基底を流れる「背景放射」だが、消費生活のあり方自体も変えつつある。
──旧来の情報流通の常識がなぜ通用しなくなったのですか。
新しい情報流通を鳥瞰すると、次のような方向で動いている。
世界の情報を流通させる巨大なソーシャルメディアプラットフォームができている。その上に無数の情報ビオトープが形成された。それに接続し、視座を提供するキュレーターが出現している。そのキュレーターにチェックインして情報を受け取るフォロワーが、それぞれ無数の小規模モジュールとなって存在する。しかも、その関係はつねに組み替えられ、新鮮な情報が外部からもたらされる。そういう「生態系」が誕生しているのだ。このような世界では旧来の常識は通用しなくなる。