統合失調症×うつの夫婦が漫画で描く人生の希望 生きづらさを抱えた2人がどう出会い、結婚したか

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現在は薬で良くなっているが、それでも完全に治ったわけではないという。

暁さんいわく、

「2人で夕方散歩していたら、妻が突然車道に飛び出してびっくりしたこともあります。聞くと『人がいたから避けようとした』と言われました。そういうときは、2人でいたほうが物理的に安全だなと思います」

クマのヌイグルミをしたイマジナリーフレンドも現れた。イマジナリーフレンドとは、空想で作り上げた実在感がある友達だ。

漫画内では“それ”と呼ばれている。

「“それ”は『大好きだよ』とか、基本的にポジティブなことを言ってくれるんですけど、たまに悪意が混ざってくるんですよ。

『そこのマンホールに入るといいよ』

とか、

『あそこの角をいきなり曲がるといいよ』

とか。車に轢かれたら、どうするの? って……」

母親が病院嫌いなことから、コギ丸さんはあまり治療をしてもらえなかった。精神状態は良くならず、寝込む日々が続いた。寝込む部屋もゴミ屋敷だから、精神的にも喘息的にも良くない。

学校に通わないまま中学校を卒業した。

(漫画:『夫婦でビョーキですが、幸せになってもいいですか?』(ビジネス社))

母はコギ丸さんの「絵を描く才能」だけは伸ばそうとした

母親からは学校へ行かないことについては責められたが、将来の話はいっさいしなかった。ただ「絵を描く才能」だけは伸ばそうとしてくれた。子供の頃から絵だけは描いてきた。

コギ丸さんは、学校に行かないまま中学校を卒業し、3DCGを学べる専門学校に通うことにした。しかし小学校から不登校で、いきなりの専門学校はハードルが高く断念した。

「18~19歳の頃、ある日デッサン会で知り合った漫画家さんから、

『ちょっとアシスタントやってみない?』

と誘われました。アシスタントに入ってみたものの、右も左もわからず、手取り足取り教えていただいて技術を学びました」

最初は苦労をしたものの、技術を習得してからは順調に収入を得ることができるようになった。

「『私は学歴がないから漫画家になるのは無理だ』と諦めていたのですが、一度賞に応募したところ受賞することができました。それで自信がついて、漫画家になるよう努力を始めました」

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