オチのない自慢話には、「あ、そういえば、うちの旦那もブラッドリー・クーパー寄りなんですよ~」と切り返せるメンタルがないと、ここ韓国では生き残れないと感じるのです。
ばば友さん(おばあちゃまたちが育児をサポートしている場合に知り合う)などとちょっと挨拶以上踏み込もうものなら、「うちの娘は医者で婿も〇〇大病院の院長で息子はロンドンで弁護士をしているの」などと誰もそこまで聞いていないよという「TMI」(トゥーマッチインフォメーション=余計な情報)がエンドレスに続くことは日常茶飯事です。
そしてまた今日もため息をつくのです。なぜこんなに全国に立派な子息が多いのだろう? それなのに国の現状はこれでよいのか? と。
まるでドラマ!? リアルな韓国恋愛事情
わが子自慢は自慢に入らない、というのが韓国セオリーのひとつと言えるでしょうし、親が謙遜していると相手には育児に失敗した人として映ってしまうだけ。
少なくとも「うちの愚息は……」などと言う母親にお目にかかったことはありませんし、一見息子さんの愚痴を言ってるのかな? と思って聞いていると最後は結局、あ、自慢だったのですね、で終わるケースが99.9%です(またまた筆者調べ)。マザコン傾向はこの国のデフォルトなので、そういう概念そのものが存在しないのではないか、とすら思っている次第です。
さて、そんな告白大好き、自分語り大好き、ファミリー大好き、お酒も好きならサッカーも好き、歌を歌えば玄人はだし、なんなら踊りも踊れるマンマミーア、実はいろいろとレベルの高いアジアのラテン系とも呼ばれる彼ら。自分の思いをつづったり、声に出して読んだり、それを相手に伝えたりというのは、てらいのないごく自然なことなのかもしれません。
私のまわりには、大学時代に恋人から詩人リュ・シファの詩集『君がそばにいても僕は君が恋しい』(邦訳は集英社クリエイティブより2006年刊)をプレゼントしてもらったことがあると打ち明けてくれた友人が2人いたことも付け加えておきましょう。