かつてキー局のアナウンサー試験で“全落ち”を経験した西澤アナだったが、社内のアナウンサー試験に無事合格。
さながら“下剋上”とも表現できる、大逆転の人生がスタートした。
先輩のいない“1期生”として「試行錯誤」
しかし、いざ「夢の世界」へ入っても苦労があった。
同期の瀧山あかねアナ、藤田かんなアナとともに「ABEMA」の女性アナウンサー“1期生”に。前例がなく、先輩もいない環境では、みずから試行錯誤するほかなかった。
新人時代は、番組収録後にディレクターの元へ足を運び、自分から「ダメ出し」をお願いした。
収録前には、事前に渡された台本にビッシリと付箋を貼って準備し、入念な下調べも重ねて、スポーツ番組の選手インタビューに臨んだ。
台本には進行の流れは記されているが、選手個々の来歴や質問は書き込まれていない。そのため、自身で準備するほかなかった。
今も、当時の台本は一部を保管してある。「ベースがあれば、過去の回答を生かせますから」と西澤アナは微笑む。
そして、今では、バラエティ番組の立ち回りを評価する声もある。成長のきっかけになったのは、お笑いコンビ・千鳥がMCを務めるバラエティ番組『チャンスの時間』(ABEMA)への抜擢だった。
レギュラー就任当初、破天荒な企画に定評のある同番組で千鳥の大悟から「だって、イジりにくいんやもん」と冗談交じりに苦言を呈された放送回もあった。
ただ「間違えないよう一生懸命に」と必死だったが、「バラエティ番組のアナウンサーに求められているのは、今の方向性ではないかもしれない」と自問。
面白ければ「視聴者のみなさんと同じ気分」で笑う、下ネタに対して「女性として嫌なときはふさわしい顔をする」と工夫したところ、千鳥をはじめ、周囲のお笑い芸人からイジってもらえるようになった。
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