これは実は、投資でも同じだ。「市場はこう言っている」、という人々は市場というものがひとつのモノだと思っているが、それは大きな間違いである。個人投資家、機関投資家、ヘッジファンド、そして、それぞれのカテゴリーの中のひとりひとり、ひとつひとつが動いた結果で起きた取引の動きなのであり、「市場は」といった瞬間に情報はすべて失われる。
ひとつの概念にくくりつけて済ませよう、という「思考停止癖」は多くの日本人の特徴とも言えるが(これもそういう人が多い、というだけで、日本人というカテゴリーで済ませるのは本来良くない。しかし、便利だ。だからみなやってしまうのだ)、カテゴリー認識、パターン認識は行動経済学でも人間の行動の特徴とされている。
ただ、この癖を修正するのが想像力であり、それが官僚には著しく欠けている(これもまた、カテゴリー認識で、私が財務省に在職していた当時そういう人を多く見かけたから言っているのだが、大企業の本社に勤める多くのサラリーマンがそうであるかもしれない)。この想像力不足は、コントロールの誤謬につながる。
相手を「コントロール」できるという誤謬
官僚(政策を打ち出す側、主導権を握っている側、権力を握っている側)は、対象を、相手を支配できると思っているようだ。何か手段を持っていると、その作用が及ぶ対象は、手段を使う側の意図のとおり動くと思っている。
これは「コントロールの誤謬」と呼ばれる現象の1つである。たとえば、自分はサッカーに詳しいから、数字を選ぶ普通のくじよりも、サッカーの勝利チームを当てるくじのほうが、より当たると思ってしまうような現象を指す。
だが、ほかのくじの購入者もそういう人たちの集まりだから、結局は、数字を選ぶくじと同じくらいしか儲からない(同じくらい損をする)。
また、小さな組織のトップでは、組織の成員が命令に従うとき、いつでも思い通りに組織は動くと思ってしまいがちだ。だが、こうした考えは、外部環境の変化が、組織内の個人の行動にも影響を与えてしまうことを無視している。実際には組織の内部もコントロールできないのである。
金や権力に対する強い欲望は「多額の金があれば何でもできる」「権力があれば何でもできる」という錯覚に陥ることによるものだと私は思っているが、実際には金でモノが買えるだけであり、権力では心は動かせない。
「コントロールできる」、という感情はエクスタシーをもたらすから(と私は思っている)、「1億円の家が当たるくじ」よりも、「現金1億円が当たるくじ」のほうが圧倒的に人気がある。1億円あれば、いろいろなことができそうに思えて夢が広がるが、実際には1億円の家を買ったら終わり(しかも昨今では1億ではたいした家は買えない)であり、夢から覚めるのである。
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