マレーシア人監督「日本映画」に思う"海外との差" 日本の会社に就職し、中国で映画作りを学んだ

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監督デビューしたのは中国で2010年のことでした。2作目は香港、3作目は日本で撮りました。

今までに大阪をベースにして日本と海外の関係を描く映画を3本作っています。『新世界の夜明け』(‘11)『恋するミナミ』(‘13)『カム・アンド・ゴー』(‘20)の3本で、大阪3部作と呼んでいますが、この10年間で起きた日本と外国人の間に起きたことを描いており、この映画を見れば、アジアと日本の関係がわかります。

――デビューするとき、何が一番大変でしたか?

中国だけではなく、どこの国でも同じだと思いますが、やはりお金を集めることでした。

新人監督でしたし、企画マーケットや助成金すべて応募しましたが、すべて落ちました。仕方がないのですべて自分で集めました。キャストもスタッフもすべて自分の友達か知り合いです。

1作目はそういう形で作る人が多いです。その後は、国際映画祭に出品して評価されて、プロデューサーに出会い、その人が資金集めをするようになりますが、僕はずっと自分でやっています。そのうちに規模も段々と小さくなってきて……。

最初、スタッフは20人ぐらいいましたが、この作品は役者さん・スタッフを入れて6人で撮りました。バルカン半島で撮影した『いつか、どこかで』という作品のスタッフは3人です。この状態がデビューから10年間ずっと続いていて……。

本当に大変で、もう限界までもうきています。映画作りの大変さはやってみないとわかりません。

――確かに、自分で資金を集めて映画を作るのは大変ですね。

実家に帰ると母や友達は「すごい、映画監督だ」と言ってくれます。でも映画業界以外の人たちはこの実態を全然理解していないと思っていて……。華やかな世界でお金持ちと思っているみたいです。日本で映画監督を続けるのは大変なんだということをもっと知ってほしいです。

自主映画が豊富にある日本

――韓国やフランスのように国家政策として映画作りをバックアップしている国もありますが、それ以外の国はやはり同じように苦しいのでしょうか。

どこの国も苦しいのは一緒です。ただ、前提として、タイもインドネシアもマレーシアも映画を撮影できるのは豊かな階層に生まれた人か高学歴なエリートです。

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