マレーシア人監督「日本映画」に思う"海外との差" 日本の会社に就職し、中国で映画作りを学んだ

何もない栃木の田舎町で、くすぶり続ける映画監督の渡辺紘文。東京国際映画祭で数々の受賞歴を持つ渡辺は、自他ともに認める“世界の渡辺”であるが、今は脚本も書けず、大手映画会社から依頼がくることもなく、日々を過ごしていた。そんなある日、旧知のプロデューサーから、世界的映画監督”KOREEDA”の代打で沖縄での映画製作の話が舞い込むが、事態は一転、自分の作品を上映する劇場を探すため全国のミニシアターを訪ね歩くことに。そして、道中に出会った不思議な少女に導かれて渡辺が辿り着いた場所は――。
理系学生として「ものづくりの国」日本へ留学
――リム監督は、1973年にマレーシアで生まれ、1993年に大阪大学基礎工学部に入学しています。
マレーシアは民族が多く、特定の民族に対する優遇政策を実施していますが、メインのマレー系の人を優先するような政策があります。僕は中華系ですが、マレー系の人を優先して入学させる制度があったので、マレー系以外の人は海外の大学に留学するのが自然でした。マレーシアはイギリスの植民地だったので、アメリカやイギリス、オーストラリアなどの英語圏の大学に留学する人が多かったですね。
ただ、僕は人と同じことをするのが嫌で、あまりみんなが行かない日本に行きたいと思っていました。
そして、ちょうど僕が高校を卒業した頃、当時の首相のマハティール氏が “日本から学ぶ”という「ルックイースト政策」を打ち出し、日本留学ブームが起きていました。
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