あの「チャップリン」模倣俳優を軒並み訴えたワケ ディズニーが憧れた類いまれなビジネスセンス

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しかし、失意の中で生み出したミッキーマウスが大ヒットを記録。彼もハリウッド・セレブの仲間入りを果たしました。

そしてついに1930年代初頭、ディズニーは憧れのチャップリンに初めて面会を果たしました。その際に、喜劇王に「僕も君のファンだよ」と言われたことで彼は有頂天になります。同時に、チャップリンは自分の他に若い天才が現れたことを見抜いて、現実的な忠告も忘れませんでした。

「だけど、君が自立を守っていくには、僕がやったようにしなきゃ。つまり、自分の作品の権利は他人の手に渡しちゃだめだ」

ウォルトはこの忠告を生涯守りました。今もディズニー社は作品の著作権やキャラクターの権利を厳格に守って活用していますが、そのきっかけはチャップリンの一言だったのです。

モノマネ芸人を訴えて知的財産権を確立

チャップリンは間違いなく超一流の経営者・ビジネスマンでした。完璧主義を貫いたアーティストにして、同時に、生涯作った80本以上の映画作品のうち、公開時に損失を計上したのは『殺人狂時代』の1本だけ。もちろん、この1本も後に再公開やソフト化、配信などで多くの利益をあげています。浮き沈みの激しいハリウッドで、事実上すべての作品を世界的大ヒットに導いたプロデューサーは他にはいません。

チャップリンが1914年にデビューをして、瞬く間に人気者になると、そのオリジナリティゆえに世界中で模倣が横行しました。ドイツでは「チャーリー・カップリン」、メキシコでは「チャーリー・アップリン」などと、ふざけているのかと怒りたくなるような名前の映画俳優が多数誕生したのです。

これらの模倣俳優はどこに消えたのでしょうか?

答えは簡単で、1917年に、チャップリンが、模倣俳優たちを相手取って大々的な訴訟を起こしたのです。

この裁判は前代未聞のものでした。当時は肖像権の概念もしっかりとは確立されておらず、映画俳優がどんな格好をしようが勝手だし、髭ぐらい誰でもつけるではないかと思われていたのです。実際、訴えられた側は、「偶然の一致だ」などと主張しました。

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