第2は、先進国におけるイノベーションと経済成長をめぐる課題を改めて論じることである。
イノベーションと創造的破壊は、持続可能性の実現や不平等の削減と両立するのだろうか。
創造的破壊が市民の雇用や健康や幸福に与えかねない負の影響を防ぐことはできるのだろうか。情報技術(IT)や人工知能(AI)の革命は人間にとって脅威なのだろうか。
第3は、政府と市民社会の役割を改めて考え直すことである。
イノベーションと創造的破壊を促し、ひいては国をゆたかにするために、それぞれはどんな役割を果たすべきだろうか。資本主義の行きすぎから経済と市民をどのように守るべきだろうか。
創造的破壊を成長の原動力と評価したシュンペーターでさえ、資本主義の未来について悲観的だった。
資本主義が発展すると、やがて大企業による中小企業の吸収や駆逐が起き、不完全競争に陥る。企業家の意欲は減退し、官僚と既得権益が幅を利かすようになるという。
一方、国家と資本主義の規制について論じた本書の最後は楽観的な結びの言葉で終わる。ただし「闘う楽観主義」であることを付け加えておかなければならない。
マルクスの有名な言葉にもあるように、「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。重要なのは世界を変えることだ」。
国のゆたかさを表す新しいパラダイムがなぜ必要か
この問いへの答えは単純明快である。既存のパラダイムは大きな変化を表すにも成長や繁栄の謎を解くにも不十分だとわかったからだ。
理論的な理由からも実証的な理由からも、新しいパラダイムの開発が待ち望まれる。
まず、理論的な理由を説明しよう。1980年代末までは、経済成長は資本蓄積によって実現するという学説が支配的で、これは新古典派モデルと呼ばれた。
中でも最もエレガントだったのは、ロバート・ソローが1956年に開発したモデルである(ソローはこの功績によって1987年にノーベル経済学賞を受賞した)。
シンプルでエレガントなソロー・モデルは、経済成長を解明するあらゆる試みの出発点となっている。
ごくおおざっぱに言えば、このモデルが描くのは生産に資本を必要とし、資本ストックの増大がGDPを増やすような経済である。ではどうやって資本は増えるのか。家計の貯蓄によって、である。
貯蓄は生産すなわちGDPの一定比率に等しいとされている。となれば、この経済はきわめてうまくいくように見える。貯蓄によってファイナンスされた資本が増えるほど、GDPは増える。GDPが増えれば貯蓄が増える、という具合になるからだ。
言い換えれば、この経済は資本蓄積の効果のみで持続的な経済成長を生む。とくに技術の進歩は必要としない。