創価学会はもともと日蓮正宗という日蓮系宗派の信徒団体の1つで、基本的に日蓮正宗の教えに基づいていた。そんな日蓮正宗は、たとえば「四箇の格言」と呼ばれる、他宗批判を象徴する言葉を重んじる。四箇の格言とは「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」という4つのフレーズのことで、日蓮が生きていた時代の代表的な他宗教の悪性を突いた言葉である。
この格言に込められた他宗批判の思想は創価学会の布教におけるバイブル的な著作『折伏教典』にも余すところなく反映されており、そこでは「これでもか」というくらい苛烈な他宗批判が詳述されている。創価学会が右肩上がりで成長していた昭和の時代、学会員たちは『折伏教典』を片手に布教活動に出かけては「邪宗」を破折(=くじき破ること)して歩いた。この頃、日蓮正宗(と創価学会)以外の宗教はすべて邪宗・邪教だと位置づけられていたのである。
しかし時代が平成に変わる頃、こうした傾向に変化が訪れる。
学会員に変化をもたらした2つもの
学会員たちに変化をもたらしたものは大きく2つある。
1つは、教団のカリスマリーダー池田大作氏である。池田氏は昭和の時代から他宗教、他宗派の著名人たちと対話を重ねてきていた。そこには相手を破折しようなどという姿勢は見られない。この池田氏の姿勢は、学会員たちに「他宗教、他宗派の人たちを一概に邪教の徒として斬って捨てるのではなく、それらの人たちとの間に理解の架け橋をかけることもアリなのか」という揺らぎをもたらした。
もう1つが、1991年に創価学会が日蓮正宗とたもとを分かったことだ。ここから「すべての他宗教、他宗派は邪教・邪宗」という創価学会内の常識は変わりはじめた。先に述べた通り、学会の攻撃性は日蓮正宗と歩調を合わせていたがために生まれた部分が大きいからだ。日蓮正宗と別れたことで学会は他宗教、他宗派に対するスタンスを自らの裁量で決められるようになった。
学会はこの後、地域貢献などにも打って出るようになる。社会との接点が増えるに連れて学会内の常識、学会員たちの態度も変わっていったのだ。
こうして他宗教、他宗派への態度は軟化していった。学会員たちの間で「邪教・邪宗」は次第に「他宗」へと言い換えられるようになった。
先の「ダルマ事件」が起きた1993年という年は、創価学会が日蓮正宗とたもとを分かってまだ間もない時期。学会員たちの意識、常識はまだ大きくは変わっていなかったのだろうと思われる。
平成の約30年間で創価学会は間違いなく変化を遂げた。では、この教団が持っていた排他性や攻撃性は完全に消え去ったのだろうか。
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