障がい者に優しい「下町の映画館」その驚きの挑戦 聞こえない・見えない人にどう作品を届けるか
――最近はSDGsやダイバーシティといったことが叫ばれるようになってきていますが。
そうですね。ただまだまだ目線が「健常者が楽しんでいるものを、かわいそうな障がい者の方たちも同じレベルで楽しめるように」という発想になっているところがあると思うんですけど、でもそうじゃなくて。彼らはむしろ健常者が見えてないことが見えていたり、感じ取れてないことを感じ取っていたりするんですよね。
だからいろんな見方の人がいますし、映画の理解も深まっていく。自分たちが気づけていないことに気づかせてくれる存在なんですよね。まだまだ可能性はたくさんあるし、知らないこともたくさんあるんだよということを、この映画を通じて伝えていけたらいいなと思っています。
これからはチュプキで6年近くやってきて感じたことを外に広めるステージなのかなと思っていて。その流れでこの映画を作ることになって。プロデューサーという立場になったのもそういうことがあると思います。
決別よりも対話を選ぶ
――この映画に出てくる手話通訳の方には手話通訳側のルールや哲学があり、音声ガイド制作者や視覚障害の側にはそちらのルールや哲学がある。となると当然、意見がぶつかりあって決裂してしまいかねない状況だと思ったのですが、ここに出てくる人たちは決別よりも対話を選んでいたのが印象的でした。
そうですね。映画を観た方からも、あの対話がよかったですねと言われることが多くて。音声ガイド制作当時は全然余裕がなかったんですけど、後からなんでああいうふうに話が前に進んだのかなと考えると、もちろん聴覚障がい者、視覚障がい者という当事者たちがいたからというのも大きいんですけど、無理だよと言っている人たちも、なぜ無理だと思うのか、ということを一生懸命説明してくれるんですよ。
でもそうやって無理だと思う理由とか、その根拠を説明してくれたからこそ、そこから糸口が見つかって。そういうことならばと。例えば見せて伝わる表現でやっているなら、それを聞こえて伝わる表現に変換するだけで、伝えようとしていることは同じじゃないか、ということが見えてきて。
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