「タイタニック」大コケ必至と思われた当時の事情 ディカプリオは大ヒットにも複雑な心境だった
ジェームズ・キャメロン監督の『タイタニック』が世界プレミアされたのは、1997年の東京国際映画祭。全世界で21億ドルを売り上げ、当時において史上最高の興行記録を打ち立てたこの映画のデビューから、ちょうど四半世紀が経ったことになる。
この映画が達成したことは数多い。アカデミー賞には、14部門でノミネートされ、作品、監督部門を含む11部門で受賞。この映画を応援する人たちが大勢いたおかげで、この年のアカデミー賞授賞式番組は史上最高の視聴率を獲得した。リピーターも多く、北米で10カ月近くも映画館で上映され続けたというのも、すごいことだ。
だが、公開前には誰もこんなことを予測していなかった。製作中、予算がどんどん膨れ上がり、最終的に2億ドル以上という当時においては史上最高にお金がかかった映画になってしまったからだ。
製作中もトラブルだらけ
宣伝費などを含めると、たとえ全世界で4億ドルを売り上げたとしてもトントン。しかも、伝わってくる情報から判断するに、この映画が4億ドルも稼ぐヒット作になるとは考えづらかった。製作中にトラブルがあったり、公開が何度も延期になったりした作品は、たいていろくなものではないと捉える風潮が、ハリウッドにはある。『タイタニック』の場合、ケチがつく要素はたくさんあったのである。
まず、20世紀フォックスは、大型予算をかけた恋愛映画というコンセプトに最初から乗り気でなかった。キャメロンとの人間関係を尊重して、1億ドルまでなら製作費を出すということでゴーサインを出したのだ。キャメロンが予算オーバーをするであろうことは目に見えており、この時から赤字を覚悟していたフォックスは、少しでも損失を減らすべく、別のスタジオをパートナーに付けようと考えた。
そこでやってきたのがパラマウントだ。だが、パラマウントは最大6500万ドルまでしか出さないと言い張った。それを超えた場合は、全部フォックス持ちだ。フォックスはその条件を呑み、自分たちは海外配給権をキープし、パラマウントに北米配給権を渡すことに同意した。パラマウントにしてみれば、結果的にとてもおいしいディールだったことになる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら