千夜、一夜が描く失踪した夫を待つ妻の複雑な心 地方で生きる中年独身男性の姿も描いている
待つ側としてみれば、仮に自分の意思で失踪したのであれば「気が付かないうちに傷つけてしまったのではないか」と自分を責めることもしたと思います。一方で「拉致されたのかもしれない」と理由を作ることで待ち続けることができる。「自分で失踪した」と、ある日、突然電話が掛かってきたらとてもショックだとは思いますが……。
そうやって思いを巡らせているうちに「待つ女」を中心にした家族の物語を描こうと決意しました。
そのときには拉致問題とは関係のない物語にすることにしていたので、似顔絵、所持品、推定年齢が掲載された都道府県の警察の身元不明人のHPをひたすら見てその背景について考えました。
――ドキュメンタリー作品を手がけてきましたが、劇映画を撮り始めたのは理由があるのでしょうか。
ドキュメンタリーを作っていて、あるとき、壁にぶつかったんです。ある作品のために事前の取材に行って、被写体の方に話を聞いていたのですが、映画の撮影では被写体の方の取材時の状態を撮りたかった。ところが、撮影の段階になってその状況は終わってしまっていて。そうすると自分の撮りたい映像はもう撮影することはできません。
そのことを知り合いの演劇人に相談したら「芝居でやればいいのでは?」とアドバイスを受けました。今から30年ぐらい前ですが、そのときにドキュメンタリーで撮れないものはフィクションでやればよいのだと思い少し楽になりました。
その思いの延長で劇映画の『家路』(2014年)を作ることになりました。東日本大震災の原発事故で故郷を追われた福島の農家の家族を主人公に、親子、兄弟、夫婦それぞれの葛藤と絆を描こうとするものでしたが、これはドキュメンタリーでは撮れないと判断したんです。そのときに劇映画の面白さもわかりました。
中年独身男性も描かれる
――本作では中年独身男性の様子も描かれていました。
脚本を担当した青木(研次さん)と映画の内容についてキャッチボールしていたときに、自然と出てきました。シナリオハンティングをしに佐渡島にも行きましたが、商店街はやはりシャッター街でした。活気がなかったですね。
漁村のほうに行くと、子供がいない。限界集落のような状況でした。そして、そのとき感じたのは、日本の地方都市は同じようなものなのではないかということです。なので、そこをきちんと描きたいと思いました。それによってリアリティも出るのではないかと。
この映画の企画が立ち上がってから完成まで8年もの月日を費やしました。正直、お金を集めるのも大変でした……。ただ、時間をかけても丁寧に描きたいという気持ちは強かったですね。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら