千夜、一夜が描く失踪した夫を待つ妻の複雑な心 地方で生きる中年独身男性の姿も描いている
――主人公の登美子は夫の諭を待ち続ける一方で、「ひとり」でいる状態を解消するように周囲から急き立てられています。
1人でいたい人は1人でいればいい。それはもちろん、個人の生き方の問題ですし、自由だと思います。一方で30年近く前に『独居老人』というタイトルのドキュメンタリーを撮影し、その頃、自分はまだ30代でしたが「ひとりで暮らす」ことの過酷さを痛感しました。
被写体の女性は当時70代後半か80代前半だったと思います。お子さんはおらず、夫は他界した方でした。毎日、百貨店の画廊に行って絵を見て、それが終わったら、百貨店の地下で夕食を買い、ベッドのそばにあるテレビを見ながら買って来た夕食を食べる。それを毎日繰り返しているんです。
「こうやってテレビを見ている人もいるのだから、真面目に番組を作らないと」と思いましたが、同時に、周囲の人たちはやはりその女性のことが心配なのではないかと感じました。
劇中で、登美子に「春男と一緒になれ」と周囲の人たちがお節介を焼くのは「1人でいさせておいていいのか」という罪悪感に似たような気持ちがあるからなのかもしれません。
しかし、その罪悪感は1人でいる本人にとっては、億劫に感じてしまう。難しい問題です。
家族でいるために大切なこと
――この映画を撮影して失踪した人の気持ちはわかりましたか。
映画を撮る前は「消えてしまいたい」という強い気持ちがあるわけではないのですが、何の不満もなく普通に過ごしているときでもお尻がむずがゆくなるような瞬間がありました。自分はここにいていいんだろうか……という感覚です。
人によっては「この幸せがいつまで続くのか。いつか壊れてしまうのではないか」と思うと、逆に怖くなって、自ら壊しに行く人もいるのかもしれないと思っていました。
実際に実行するか否かは別として、多くの人がそういう感覚を味わったことが一度や二度はあるのではないかと。それで、初めはその理由を追求したいと思っていました。
ところが、プロットを練るうちに、自分の気持ちが「待っている側」の心情にフォーカスするようになりました。待っている側は「傷付けたから失踪したのかもしれない」と思って、そのときに初めて、失踪した人のことを真剣に考え始める。
振り返ると、家族が家族としていられるために、大切な人に伝えなくてはならないことを伝えているかを問う内容になったのだと思います。
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