「座り込み」とは、辞書によれば、「その場にすわって動かないこと。特に、労働争議などで、(目的を達するまで)ある場所にすわり続けて気勢をあげること」とあります。
よって、厳密な定義という意味では、ひろゆきさん側に分があります。ひろゆきさんはそこを徹底的に突き、相手側の意見を一切受け入れませんでした。
「わかりやすい事実」VS.「言語化しにくい情緒・意見」
この論戦で残念だったのは、「抗議活動が『座り込み』かどうか」という些末な話に終始したことでした。
反対側は、「沖縄の問題についてどう思うか聞きたい」などと話を振るものの、ひろゆきさんに「座り込み」問題に話を押し戻され、「私の定義ではなく、辞書の定義なんです。それは座り込みと言わずに、抗議活動といえばいい」などと「正論」でねじ伏せられました。
ひろゆきさんも、反対派側も、自分が「正義」と一歩も譲らず、ガチンコで「どちらが正しいか」を競り合う場となり、結果的に、なんの妥協も解決策もなく終わりました。
そもそも、「自分が正しい」と譲らない相手と議論をするのは、骨が折れる行為です。
特に、以前の記事「なぜ勝てる?『論破王ひろゆき氏』の話し方大解剖」で分析したように、百戦錬磨のひろゆきさんは、データやエビデンスを示し、言い分の正当性を主張し、相手の主張の盲点や欠点を徹底的に突いてきます。
「嘘ですよね」「犯罪ですよね」とネガティブな言葉で相手にラベルを張るなど、トランプ前アメリカ大統領も使ったような詭弁術もお手の物。
これまで沖縄が置かれてきた歴史や経緯を踏まえることなく、
「白黒わかりやすい情報と事実」VS「言語化しにくい情緒や感覚・気持ち、意見」のどちらがエビデンスとして強力かといえば、やはり前者ということになります。
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