猪木氏は、その「セルフブランディング能力」の高さでも知られていた。
「世界最強の格闘技プロレスの、最強は自分である」――このブランディングを確立するために、プロレスの枠内に世界的格闘家を集め、自分が勝利を重ねる演出で新日本プロレス最強ブランドをつくっていった。
その後、時代は流れて、元プロレスラーがプロレスの裏側を話すようになっても、猪木氏は前述のホーガン戦を含め、幻想を壊す話を絶対にしなかった。
猪木氏は「対戦相手のプロデュース」にも長けていた。「相手がいかに強いか」とアピールし、引き立てたうえで、「その相手と戦う自分の価値」を上げていった。
あるとき、猪木氏におなじみの「闘魂ビンタ」を受けながら私が写真撮影をお願いしたのち、その場のノリで私が猪木さんに「ビンタしている写真」をお願いして、手のひらをその顔にゆっくり近づけた。
すると、その瞬間、その場の空気が凍りつき、周囲のお付きの人が慌てて私を制したことがある。
猪木氏は「素人ファンである私」との写真撮影でも、「強いアントニオ猪木像」を曲げるわけにはいかなかったのだ。
元気ですか!!猪木さん。心より感謝を伝えたい
晩年は大病を患い、何度も死の淵を彷徨いながらも、「病魔と戦う自分」をさらけ出す勇気も見せてくれ、まさに「人生をかけた真剣勝負」を私たちに見せつけてくれた。
「不死鳥」のように蘇っては明るく、皆に元気を注入していたアントニオ猪木氏。あなたはリングを降りた後もその人生を通じて、「燃える闘魂」で私たちを励まし、元気づけてくれました。
「天国への一歩」を踏み出した猪木さんに、心より感謝の言葉を伝えたい。
元気ですか!!猪木さん。私たちは、あなたのおかげで何度も楽しみ、笑顔になり、ワクワクし、励まされてきました。
これからは私たちが自分自身の中に「闘魂」を燃やし、「自分の人生にとってのモハメド・アリとアンドレ・ザ・ジャイアント」に挑んでいきます。
アントニオ猪木選手、永遠にボンバイエ。安らかにお休みください。
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