中台の緊張激化の中、中国抑止をどう考えるのか 中国の台湾政策変遷の背景にある3つの変化

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ペロシ下院議長の台湾訪問以降、アメリカと中国の間で緊張が高まっている。写真はアメリカ軍横田基地を訪ねたペロシ氏(写真:Bloomberg)

アメリカのペロシ下院議長の台湾訪問(8月2日)以後、台湾海峡をはさんだ中台の緊張の高まりが恒常化している。

中国は「重要軍事演習」と称して台湾封鎖の予行演習を実施、実際にミサイルまで飛ばした。これに対しアメリカは議員団の訪台を繰り返す。中国は連日、台湾海峡の中間線を越えて台湾側に戦闘機を侵入させるだけでなく、離島にはドローンを飛ばし威嚇を続ける。するとアメリカ政府が新たに11億ドル(約1500億円)相当の武器売却方針を打ち出し、議会でも台湾への軍事支援を大幅に強化する法案が審議されている。

緊張のエスカレーションはとどまるところを知らないように見える。これが「新常態(ニューノーマル)」を作り状況を変えようとする中国流のやり方なのだろう。

尖閣諸島でも2012年の日本の国有化をきっかけに、今日に至るも連日のように中国海警局の船が日本の接続水域内に入り、時には領海内にまで侵入を続けている。人海戦術で同じ行為を長期間にわたって継続し、相手を疲弊させ諦めさせようとでもいうのだろう。だからと言って軍事力を使って一線を越えようとはしない。台湾海峡でも同じ手法だとすれば、戦闘機の中間線越えはこれから先も長く続くかもしれない。

中国の台湾政策はどのように変遷してきたか

中台関係が一貫して緊張状態にあったわけではない。むしろ、今ほど関係が悪化しているのは例外的だ。その背景には3つの大きな変化を指摘できる。

まず、最もはっきりしているのは中国の変化だ。国民党と戦った毛沢東主席にとって台湾を武力解放し統一することは最大の目標だったが、アメリカに阻まれ実現できなかった。そこで毛沢東は「外交戦」に転じ、国連で多数派形成に力を入れ国連加盟と米中共同声明で国交樹立の実現へ向かうとともに、国際社会における台湾の孤立化に成功した。

続く鄧小平(最高指導者1978~1989年)はさらに巧みだった。改革開放政策を進めるために日本やアメリカなど西側諸国に接近するとともに、台湾問題については「平和的統一」や「一国二制度」という柔軟な方針を打ち出して経済成長の基礎作りに成功した。

ところが江沢民(同1989~2002年)は鄧小平が残した経済成長の成果に自信を持ったのか、台湾問題については「祖国の完全統一の早期実現」「武力不行使の約束はできない」などと柔軟性を欠く原則論にこだわった。

このころ台湾では民主化が進み総統選が導入された。中国と距離を置く勢力の台頭を抑えるため江沢民はミサイル発射など稚拙な手段で2度の総統選に介入したが見事に失敗した。その結果、「二国論」を唱えた李登輝や、独立指向の強い民進党の陳水扁の政権が誕生した。

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