言葉の重みを感じさせる発言だが、しかし、筆者の中には意地悪な問いが浮かんだ。それは「大学生であれば、どんな人でも支援していくべきなのか?」というものだ。
少子化が進んだ日本では、すでに大学全入時代になっている。ごく一部の有名大学以外は学生を取り合う状況であり、どこもなんとかして生徒数を増やしたい。そんな状況なので、もし国が大学完全無償化をしてくれると、生徒数も増え、収入も増える……ことが予想される。
そのため、学費が無償だったり安かったりする諸外国の教育モデルが「理想像」として例に挙がりやすい背景があるのだが、その諸外国では「そもそも大学に入るハードルが高いこと」「日本より実学主義であること」などはあまり語られない……。
学生の現状と、奨学金制度への提言
しかし、「教え子を自身の研究室には進学させない」という現実主義的な一面も併せ持つ厚木さんは、ここでも現実的な考えを見せた。
「今は18歳の人口がそうとう減っている一方で、誰もが大学まで進学するという風潮になっています。しかし、言葉を選ばずに発言しますと、昔の学生と比べて、今は学力レベルも学習意欲も低く、正直『大学に来なくてもいいのでは?』と思う学生もいます。そういう若者にわざわざ奨学金を支給したり、貸与してまで大学を卒業させる意義があるのかどうかは疑問です。
だからこそ、学歴にグラデーションを付けて、国立、私立問わず、上位の難関大学の一部は、学費を無償にするといった制度があってもいいと思います。
以前、ブラジルの名門・サンパウロ大学に視察に行ったことがあるのですが、同校は公立(州立)大学だから、学費はかからないと聞いて驚いて。日本もこのような海外の例を見習って、将来の日本のためになるような人材、研究、教育には、ある程度のレベルまでは学費まで無償にして、あとは生活費の奨学金を出すかどうかぐらいのレベルにしていくのが理想でしょう。
非常に極端な話をしていると思われるかもしれませんが、私がこんなふうに述べるのは『奨学金を借りている学生のほとんどが、奨学金を学費の支払いに充てていること』を問題視しているからです」
厚木さん自身も「非常に極端な話」と述べているが、実際、そう感じた人も少なくないだろう。また、「そもそも貧困家庭の高校生は学習塾に通うことができず、難関大学に合格することが難しくなりがちなのでは? その不公平はどう考える?」といった指摘が浮かんだ人もいるはずだ。
だが、現実として、奨学金問題は大学教育のあり方にも大きく関わってくる問題なのも事実だ。
それだけバランス感を持って接する必要があるということだが、だからこそ、厳しい現実を冷静に見つめながらも、一歩も二歩も踏み込んだ発言をした厚木さんの態度は、筆者にはとても誠実に写った。
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