昭和34年発売「マーブルガム」令和も好調のワケ 製造の丸川製菓は、ガムひと筋で安定した業績
「弊社が生き残れたのは、『マーブルガム』という看板商品があったからではないでしょうか。1959年(昭和34年)の発売以来、形、味、パッケージ、価格などを変えながらも長く続けてきたので、今では親、子、孫の3世代から愛されるガムとなりました。このような商品は他にはありません」(森さん、以下同)
『マーブルガム』といえば、ボールのような丸い形が特徴だが、これは逆転の発想から生まれたものだという。
当初はブロック状のガムだった
「弊社でまず製造したのは、ブロック状のガムでした。この形はもうひとつの看板商品である『フィリックスガム』に受け継がれています。一方、これとは別に長方形のタブレット状のガムを作ろうとしたのですが、これがなかなかうまくいきませんでした。砂糖をコーティングする段階で、どうしても形が丸くなってしまうのです」
それなら、いっそのこと丸いガムに、と発想を転換。
「丸い形にすることによって、以前に作っていた和菓子のノウハウも生かすことができました。また、丸いガムが入る容器は当時、紙箱しかなかったため、現在ではおなじみとなったあのパッケージで包装することに。ちなみに、最初のころは内職の方がガムを手詰めしていたんですよ」
当時の丸川製菓では、内職のおばあちゃんたちが荷物を載せるための乳母車を押して、行列をつくっていたという。昭和ならではの、のどかなエピソードだ。
「その後、包装機械を自社で開発。これによって、子どもがお小遣いで気軽に買える低価格ガムを作り続けることが可能となりました」
今のように物流が整っていない時代。販路はどのように確保したのか。
「弊社の近くには、菓子の問屋街があります。そこに旅問屋と呼ばれる全国を回る問屋さんがあり、積極的に弊社のガムを売ってくださった。そのおかげもあり、『マーブルガム』や『フィリックスガム』が、日本全国で知られるようになったのです」
子どもが喜ぶガムを作りたい、という思いから、ガムの種類はどんどん増えていった。
「『マーブルガム』は、オレンジ、イチゴ、グレープ、ソーダなど数種類。『フィリックスガム』と同じブロック状ガムにも、コーラ、ヨーグルト、ソーダ、ブドウなど、数多くのフレーバーがあり、現在では約60アイテムのガムを製造しています」