「個人主義的な自由」を追求すると逃げていく幸福 時間を人と共有することの計り知れない効用
そういう瞬間には、何か神秘的なものが働いている。その力はあまりに強大なため、悪用されれば大変な悲劇をもたらすほどだ。たとえば軍の指揮官が兵士の動きを揃えさせるのは、より長い距離を行進させるためではない。自分よりも大きなものに属しているという感覚を与えるためだ。仲間との一体感にのみ込まれた兵士は、部隊のために命を捧げることも厭わなくなる。
天井の高い教会でヘンデルのメサイアのリハーサルをしていると、僕みたいな素人の歌い手でもそんな心境を想像できる気がする。「世界が希望と可能性に満ちた百万ものきらめく次元へと開かれるのは、けっして一人で歌っているときではない」と、作家ステイシー・ホーンは言った。
「それはコーラスの仲間に囲まれているときだ。自分たちの奏でるさまざまな音が合わさり、一体となって脈打ちはじめる。まるで蛍がいっせいに光を放つように、音楽が私たちの脳と体と心を駆け巡り、限りない光で満たすのだ」
少しだけ共同の時間を取り戻す
問題は、僕たちが「自由な時間」と言うとき、どんな自由を求めているかということだ。一方には、現代社会で称賛される個人主義的な自由がある。自分でスケジュールを決め、自分でやることを選択し、他人の干渉を受けない自由だ。
他方には、みんなのリズムに合わせることで得られる深い意味での自由がある。たとえ自分ですべてを決められなくても、価値のある共同作業に参加する自由だ。
前者の自由を手に入れる方法は、生産性向上のための自己啓発本にいくらでも書かれている。朝の理想的なルーティンをつくる、自分のスケジュールを妥協しない、メールは決まった時間にだけ返信する、ノーと言うことを学ぶ、といったよくあるアドバイスだ。
他人との境界線をしっかりと引き、時間を他人の手から取り戻す。これはもちろん有用なアドバイスで、厄介な上司や理不尽な雇用条件、自己中心的な配偶者、人の期待に応えようという強迫観念といったものから日々の生活を守ってくれる。
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