大学教員への転身を夢見る人がわかってない現実 ビジネス界の常識とはかけ離れた異次元の世界
それに対して、ジャーナリストが書いた文章は、一般の人にとってわかりやすくても、研究者の目から見れば、「単なる記事」であり、業績書類では「その他」の項目に入れられてしまう。採用を審査する教授会では、「このようなエッセイも業績として認めるのですか」といった発言さえ飛び出すこともある。つまり、研究者とジャーナリストは、同じ文章を書く仕事ながら「似て非なる存在」とお互い思っていると言っても過言ではない。
学務と実務も似て非なる
経営学であれば、ケース・スタディ(事例研究)という手法が、研究、教育双方で用いられるが、その技法であるビジネス・ケース・ライティングも、商業雑誌、一般書籍などで良しとされる価値観がまったく通じない場合がある。この点については、拙著『ビジネス・ケース・ライティングの方法論的研究―ジャーナリズムと経営学のフロンティア―』でも詳しく解説している。
ここまで読むと、専任になっても、教育に加えて研究さえしておけばいい、と思われたかもしれない。しかし、そうは問屋が卸さない。現在の大学では、「学務」なる事務作業がどんどん増えている。教務、入試などさまざまな仕事を任されるが、重い役割を担うと研究する時間を確保するのも難しくなる。
筆者は前任校の私立大学で経営学部長を2期4年務めたが、どれほど多くの会議に出席し、諸案件、トラブルに対応したことか。メールをはじめとする雑文書きにも多くの時間を割いた。その総字数を換算すれば、論文が何本か書けたのではないかと思いたくなるほどだ。
近年、小中高の先生がサービス残業に追われているという話題が注目されているが、「大学の先生」もどんどん、小中高の先生と化している。2022年度から「18歳から成人」が法制化されたとはいえ、昨今の大学では、父兄と学生を交えた3者面談なるものまで行われるようになった。相変わらず、成人になっても「うちの子は…」なのだ。おまけに、受験生確保のために、職員だけでなく教員も入試案内を持って高校回りも行っている。
専任になれば、助教、講師、准教授、教授の肩書の違いはあれ、学務を担わされる。この仕事は実務出身者にとっては違和感なくこなせそうに思われるが、実際、取り組んでみると、大学という世界は、ビジネス社会とはかけ離れた「異次元の世間」であることに気づくだろう。学務と実務も似て非なるものなのだ。
シニアだけでなく、若手にも「退職後、大学で教えてみたいのですが」と口にする人が多いが、大学という「世間」は、そんな甘い世界ではない。経験者は語る、である。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら