不登校を救う「学校だけに頼らない」学びの環境 フリースクールやホームスクールの現状

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学校の中で学びを完結しようとするのではなくて、学びの場の1つとして学校もあるというイメージです。「学校だけに頼らない学習スタイル」が当たり前になれば、「不登校」という概念自体が消滅します。「不登校」という言葉が「学校だけに頼らない学習スタイル」に置き換えられればいいなと思います。これが不登校に対する根本的な解決策だというのが現時点での私の考えです。

実際にそのような学びのスタイルを選択する親子の話もたくさん聞きました。彼らは「不登校」なのではなくて、「ホームスクーラー」を自認していました。学習の拠点を家にして、そこから状況に応じてさまざまな学びの場を利用するのです。

ただそのとき、ホームスクーラーのみなさんやフリースクールの運営者が口々に訴えていたのは、費用の負担が大きな問題になるということです。いままで学校で抱え込んでいた機能を分散するのだから、学びの権利を保障するという目的であれば、フリースクールだろうが私塾だろうがオンライン教材だろうが、どこで学ぼうと、義務教育段階の学びについては、無償とするのが筋だと私は思います。

不登校を解消すれば教員の多忙問題も解決する!?

以前、絵本作家の五味太郎さんにインタビューしたとき、彼はもっと大胆なことを言っていました。スーパーでも工場でも会社でも、子どもたちが好きなときに好きなところに社会科見学できるようにして、子どもたちがやってきたらそこの大人たちは必ずちゃんと対応しなければいけないことにして、社会全体を学びの場にしてしまえばいいと言うのです。それを彼は「学習システム」と呼んでいました。

これ、本気で目指せばいいんじゃないですか? 五味さんの「学習システム」もモザイク模様の学び環境の一部として利用するのです。

そもそも「学校」ができるまでの人間の「学び」って、そういうものだったはずです。それなのに、近代に「学校」が発明されてからというもの、子どもたちのまわりに公共財としてあったはずの「学び」を、学校がブラックホールのように吸い込んでいきました。

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このままだと、そのうち自転車の乗り方も、スーパーでの買い物の仕方も「学校」で教えて点数がつけられるようになるのではないかと本気で危惧します。そんなところで劣等感を覚えて悩んでしまう子どもがいたらバカバカしいと誰もが思うでしょう。

データの力があれば、科学の力があれば、哲学の力があれば、あらゆる「学び」を制御できると勘違いした近代以降の人間の傲慢さが、「学校」というモンスターを育てました。子どもたちを一堂に集めて“正しい教育”をすればみんなが同じように「発達」するに違いない……。そういう“正しさ”への幻想が「学校」を肥大化させました。それを解体して、再び社会や生活の中に戻す時期にきているのではないかということです。

そうすれば学校の負担はだいぶ軽くなります。いま大きな社会問題になっている教員の多忙の問題も自然に解決していくのではないでしょうか。

おおたとしまさ 教育ジャーナリスト

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Toshimasa Ota

「子どもが“パパ〜!”っていつでも抱きついてくれる期間なんてほんの数年。今、子どもと一緒にいられなかったら一生後悔する」と株式会社リクルートを脱サラ。育児・教育をテーマに執筆・講演活動を行う。著書は『名門校とは何か?』『ルポ 塾歴社会』など80冊以上。著書一覧はこちら

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