これに対して日本では「負の歴史」は水に流される傾向にあり、その武将がのちに「軍神」として神格化され、崇め奉られたりするのである。
たとえば、加藤清正の本拠地であった熊本県でいまも行われている藤崎八旛宮の例大祭は、かつては通称「ぼした祭り」と呼ばれていた。
これは、「朝鮮を滅ぼした祭り」という意味に由来するとも言われており、この殺戮の歴史を、なんとお祭りにしてしまったのだ(この呼称はさすがに近年になって問題視され、現在は使われていない)。
それぞれの国民の集団的記憶が生む溝
日本側としては、かつてはこの朝鮮出兵を「豊臣秀吉の唐入り」「朝鮮征伐」などと呼び、「加藤清正の虎退治」の逸話を伝えるなど、戦前まで英雄視してきた。いまでもこの両者は多くの人に尊敬されている。
そして、「古代には三韓征伐を通じて属国だったのに、朝貢をしなくなったから征伐した」などという正当化の言説を信じている人もまだ一部には存在する。
また、秀吉目線の、
という言い分も語られている。
しかし、たとえば北朝鮮の金正恩総書記が、
とか言ってきたら、どう思われることだろうか。
朝鮮にとって、秀吉による壬辰戦争はそういうことなのである。
なお、古代の「三韓征伐」については、『古事記』や『日本書紀』でつくられた神話にもとづいており、創作だというのが学術的な常識である。
たとえば、塚本明三重大学助教授(当時)の論文「神功皇后伝説と近世日本の朝鮮観」(1996年)や塚口義信著『神功皇后伝説の研究』(1980年・創元社)にも記載されており、ネット検索で論文を読めるのでご参照いただきたい。
それにしても、朝鮮はただでさえ契丹(きったん)やらモンゴルやら女真族(じょしんぞく)から攻め込まれて苦労が多いのに、「壬辰戦争」にしても「征韓論」にしても、明や清(しん)などの中国王朝が弱体化するたびに日本からも攻め込まれては、朝鮮側が日本に歴史的警戒感をいだくのも当然であろう。
しかし日本側にしてみれば、さらに遡って7世紀に「白村江の戦い」のときに「新羅と唐に負けた」という集団的記憶が、そのときに創作された「古代の神話」とともに、その後の歴史の正当化につながっていくのである。
日本と韓国の間の歴史認識問題とは、遡れば100年前の日韓併合どころか、400年前の秀吉が起こした「壬辰戦争」、そして1300年前に遡る「白村江の戦い」が、その背景に存在するのだ。
だからこそ、相手国へのイライラとモヤモヤを解消するには、「そっか、日本と韓国って」と検索し、「日本の視点」「韓国の視点」の両方を知り、両サイドから見た歴史を理解し、「両国の集団的記憶」を理解することが不可欠なのである。
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