「孤独のグルメ」の作者は、"怪物"だった! 日本人が知らない、谷口ジローの真価
1月29日から2月2日にかけて行われた、「アングレーム国際漫画祭」から帰国した谷口氏は、ヨーロッパにおける自身の評価について次のように語る。
「未だに信じられないというのが本心。フランスは日本ほど漫画の数も多くなく、1人の漫画家が年に1〜2冊出せればよいというほど。その中で、僕をこのように評価して頂いているのはありがたいことだと思います」
谷口氏が感慨を覚えるのは、当然だろう。フランスの漫画(バンド・デシネと呼ばれる)は、芸術作品として高く評価されており、フランソワ・スクイテン、エンキ・ビラル、メビウスなどの作者は日本でも知られている。谷口氏は、こうした巨匠のバンド・デシネに大きな影響を受け、今の作風を創り上げてきた経緯がある。つまり、自分が学んだ国から、今では高く評価されるようになったのだ。
衝撃的だったバンド・デシネとの出会い
「40年前、まだアシスタントをしている頃ですよ。洋書店でバンド・デシネを見てびっくりしたんです。まずその絵のバリエーションの豊富さ。それからセリフなどが多く、ストーリーがテンポよく動かない。でも読みにくいのも一つの魅力なんですね。僕自身『何か違うものに挑戦したい』と感じていたので、バンド・デシネとの出会いは衝撃でした」
ただ、一度「売れる」となれば、二匹目、三匹目のどじょうを追いかけていくのが、出版業界の原理。谷口氏が思うような作品を書くことはなかなかできなかった。
バンド・デシネのような作品を書きたいとの熱い思いが、ようやく作品として結実したのが、『歩くひと』(モーニングパーティ増刊1990年30号〜1991年47号)だ。
「ちょうど『坊ちゃんの時代』を連載していた頃です。つきあいのあった編集者から『こういうものが描けるなら、散歩の漫画を描きませんか。自由にやってください』と言ってもらえた。それで、『歩くひと』を描き始めました。そうしたらひょんなことで、フランスの出版社から翻訳して出版したいという話になったんです。僕自身が正直、万人に受ける作品ではないと思いながら描いていたこともあり、このオファーには驚きました」。
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