織田信長「実は保守的」カリスマ像が揺らぐ事情 長篠の戦いで「鉄砲三段撃ち」はなかった?
多くの人が抱いている信長のイメージを端的に申し上げるなら、「古い体制にツバを吐き、革新的なアイデアと戦術で天下統一に野心を燃やした、戦国時代の風雲児」といったところでしょうか。
伝統や慣習を歯牙にもかけず、たとえ相手が幕府や神社仏閣であろうと、合理性がなければぶっつぶす。その論理は家臣の起用にも反映され、身分の低い者でも実力があれば重職に登用したが、仕事ができなければ勤続年数の長さにかかわらずクビを切った。
しかし、並み居る強敵をなぎ倒した圧倒的な力は実に魅力的で、「好きな歴史上の人物」といったアンケートでは必ずと言っていいほど上位にランクインする、鉄炮つかんだらマジでナンバーワン東海代表トップランカーだ、というのが僕らのイメージする織田信長だったんですが……。
近年の信長評は一変しております。革新的や破壊者といった原液が薄められ、これがカルピスならもはや白濁したただの水、と言うように、信長を信長たらしめた特色がことごとく〝なかった〞ものになっているんです。
既存勢力との協調路線を目指したのが信長だった⁉
ここ最近の信長の評価をこれまた端的にお伝えすると、「既存の勢力と協調しながら、国内に秩序と平和をもたらそうとした保守的な大名」といった感じ。この変わり様はもう脱皮のレベルです。
既存の勢力と協調。これはつまり、信長は幕府や朝廷と力を合わせていたし、尊重もしていたということなのですが、歴史が好きな方からすれば、「いやいや、足利義昭を京都から追い出してるじゃん。室町幕府を滅ぼしてるじゃん」となるところ。