だがエンロンの戦略は、さらにたちの悪い欠陥を持っていた。エンロンの中心にある哲学は生産性をそこなっただけでなかった。とても特殊な文化をつくりあげることになったのだ。個人の発達より才能をたたえる文化。学習は能力をつくり変えられるとする考え方をあざける文化だ。固定した気がまえを奨励し、育て、最終的には定着させた文化である。
スタンフォード大学教授にして、現代でもっとも影響力のある心理学者であるキャロル・ドゥエックはこう述べている。
エンロンはすぐれた才能のある人間を採用した。ほとんどはりっぱな学位を持った人びとで、それ自体は悪いことではない。彼らに大金をはらったが、それもあまりひどいことではない。
固定した気がまえを持った人間の特徴
だが才能を完全に信頼したのは致命的だった。才能を崇拝する文化をつくりあげ、そのため社員たちは、自分に非凡な才能があるようなふりをして、そのように行動せざるをえなくなったのだ。基本的には、それは固定した気がまえを押しつけた。これについては我々も詳しい。固定した気がまえを持った人間は、自分の欠点を認めたり正したりしないのだ。
ドゥエックが1999年に香港大学の新入生を対象にした実験では、固定した気がまえの学生たちはとてもためになるはずの、英語補習の参加機会をふいにした。人前で失敗するわけにはいかない精神世界で生きていたからだ。また、他の実験では、知能をほめられた生徒たちにテストで正解した問題数を申告させると、その4割近くが成績を偽った。固定した気がまえのせいで、本当の結果を公に知られることに耐えられなかったのだ。
さて、時価会計とSPCについて、あらためて考えてみよう。エンロンが四半期報告まで、市場からあらゆる悪いニュースを隠す方法を何週間も探していたことを考えてみてほしい。社員一人ひとりが、才能のない人間として会社に見かぎられることを恐れて、あやまりを認めることに対してどれほど被害妄想的になっていたか考えてみてほしい。どれほど固定した気がまえが浸透し、重役や社員たちの日常を左右するようになっていたか考えてみてほしい。
グラッドウェルはこう述べている。「彼らはもとから人をだます性質だったわけではない。(中略)持って生まれた『才能』のみを称賛する環境にどっぷりつかった人間の行動をとったにすぎないのだ。その記述にしたがって自分の価値をはかるようになり、やっかいな状況に陥ってその自己イメージが脅かされると、その結果に対処できない。補習を受けようとしない。投資家や世間に対峙して、自分たちがまちがっていたと認めようとはしない。むしろ噓をつくことを選ぶのだ」。
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