それを見抜けずに後押しまでした有能な科学者たちを責める声もある。しかし、相互の信用をベースに成り立っている科学の世界で、共同研究者をどこまで疑うのか、あるいは信じるのか。とくにさまざまな分野のエキスパートが共同で実験し1本の論文を書き上げる生命科学の分野では、疑い始めればきりがなくなってしまう。相互信頼のベースとなる博士号の存在意義すら揺るがしかねない。
度重なる見逃しと信用の連鎖、異例の事件
もしほんとうに責任を追及するのであれば、不正な研究を見逃した理研や博士号を授与してしまった早稲田大学(現在は1年内に再提出という猶予付きの取り消し)ばかりでなく、国費の浪費という観点からは、博士課程1年目の時点で3年間の学術振興費を与えた日本学術振興会の選定担当者にまで遡って責任追及すべきだろう。今回の信用の連鎖はその時点から始まったと見ることもできるからだ。
博士号取得後定職に就けない人が多い、いわゆるポスドク問題という背景もあり、科学研究の不正は少なくないという。しかし、今回のように不正見逃しの連鎖が続いた事例はある意味で特殊であり、今後も同じようなケースが続出するとは考えにくい。CDBで小保方氏と同時期に研究室主宰者に取り立てられた優秀な若手もいる。
システムが間違っていたという論も単純に過ぎるだろう。CDBが、センター長が、理研トップが、と誰かに責任を被せてしまうのはたやすいが、それでは真の解決は難しい。国費である研究費の出資者である国民に対する義務として、科学者ひとりひとりが襟を正し、自覚を持つことしか、解決の道はない。
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