「頭の悪い人だから独学で身に付かない」の勘違い 読んでもわからない教本だったら替えてしまおう
「能力のある人は、どの本を読んでもわかる。能力のない人はどんな本を読んでもだめだ」――誰もがそう思いがちですが、それは間違いです。ぜひ自分の理解のパターンに合った本に出合うために、自分なりに探してみる試行錯誤をしてほしいと思います。
すぐ人に聞けないから、自分で考えるクセがつく
独学だから、自分で好きなようにペースを決められたというのは、たぶん自分としてはとても楽でしたし、よかったのだと思います。さらに言えば、その結果として、すぐに人に聞かないでまず自分で考える、というクセがつくことにもなりました。
学校だと、決まったカリキュラムのペースに合わせて、進まなくてはならず、そのペースに沿って理解していかなければなりません。ですから、自分でじっくり考えたり悩んだりする余裕はなくて、わからないところはさっさと誰かに聞いて解決していかないと困ってしまいます。
けれども、自分のペースでいいとなると、自分で考える時間的な余裕が出てきます。落ち着いて考えてみる、ということができるようになるわけです。
ただ、じっくり考えたからといって、わからない場合もあります。どうしてもわからないことが出てきた場合に、もう1日頑張るか、それともそこであきらめて誰かに聞くか、あるいは別のことをやるか、という選択をする必要があります。この選択を自分で決めなくてはいけないのが、少し独学の難しいところかもしれません。
例えば、書いてあることの意味がよくわからなかったり、問題が解けなかったりすると、私はだいたい飛ばして先に進んでしまうのですが、それでもあまり簡単に飛ばしていると、何もわからなくなります。そこで、1日考えてわからなかったら先に進むというくらいに、選択のルールを決めたりします。本当は、大事なところは時間をかけるという形にするべきなのですが、初学者にはどこが重要かはなかなかわかりませんから、このような単純なルールでよいと思います。
そうはいっても、まだ高校までの勉強というのは、参考書も問題集も豊富にありました。大事なところは色が変わっていたり、要点がまとめられたりしていたので、人に聞かないとわからないということは少なかったように思います。
大変だったのは、大学の通信教育からでした。例えば教養課程の哲学などは、分厚いテキストが送られてきて、(当然ですが)太字もなければラインも引かれていないのです。かなり以前に書かれた古くて難解で、ややそっけないテキストでした。独学でどうやって大学の通信教育の科目試験に合格できるのだろうと、最初のうちはずいぶん悩みました。
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