指導者みずから、経営者自らが、徳のある人間、人間的魅力のある人間、理屈はさておき、この人についていこうという気を起こさせる、時には、この人のためには、命を捨ててもいい、と思わしめるほどのもの、徳を身につける努力をする、心掛ける指導者、経営者でなければならないということである。
人を動かすのは「人徳」
松下幸之助を見てきたが、もちろん、力、指示、命令もあったが、それ以上に、徳を磨く、徳を養う、そういうことを心掛けていたし、常に人間的魅力、徳で、部下を、社員を動かしていた、いや、松下の徳に感動して部下が、社員がみずから、率先して、実力以上の力を発揮して動いていた。だから、松下電器は世界企業にまで成長することが出来たと思う。
まさに、松下幸之助の経営は、「徳」に重きを置いた経営であったと言っても過言ではない。松下の人間的魅力、人徳で、経営を進めていたのだと思う。時折、話していたが、「経営は、社員が働いてくれるおかげ」と言っていたが、私から見れば、まさに、松下幸之助の経営は、「人徳経営」と言える。
「人間が人間を動かすということはな、これは、なかなか難儀なことや。力で、あるいは、命令で、あるいは、正しい理論で動かすということも、それはそれでできないことはないけどね。これをやらなければ、命をとる、奪う、まあ、殺すと、そう言われれば、たいていの人は命が惜しいからな、不承不承でも、言われた通りにやるということにはなる。
けどな、いやいややるのでは、なにをやっても大きな成果は出んわけや。やはりね、武力とか金力とか権力とか、うん、知力もそやな、そういうものだけに頼っておったのでは、本当に人を動かすことはできん。むろんやな、それらの力は、それなりに有効に活用せんといかんとは思うけど、なんと言っても根本的に大事なのは、徳、人徳やな、それをもって、いわゆる心服させるというか、ついていこうと思わせることやな。
お釈迦さんは、偉大な徳の持ち主やったと思う。お釈迦さんの言ってることが、大衆の心を打ったということもあるけれど、きみ、お釈迦さんの徳の前では、狂暴な巨象でさえ、跪(ひざまづ)いたと言われてるそうや。
まあ、そこまでいかんでも、指導者、経営者には、部下から、社員から、人々から慕われるような、徳というか、人間的魅力があってはじめて、指導者、経営者たる資格があるということやね。だからな、指導者、経営者はな、努めて自らの徳性を高める努力を、日頃から、しておかんといかんな。
指導者、経営者に反対する者、敵対する者もおるやろう。それに対して、正しいからと言って、対応する、あるいはある種の力を行使することもいいが、それだけに終わるとな、それがまた、新たな反抗を生むことになってしまうわけや。
力を行使しつつも、いや、それ以上に、そうした者をみずからに同化せしめるような徳性を養うために、自分の心を磨き、高めることを怠ったら、あかんな。部下は、徳がないとついてこんわ。わしもまだまだやけどな」
ぽつりと、話してくれた季節は、冬。森閑と静まり返った真々庵の座敷で、庭を眺めながら、話してくれた。
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