忘れられない場面がある。ひとつは、父親に包丁を突き付けられたときだ。
「いやな、怖い記憶すぎて、たぶん頭の中で消そうとして、微かにしか覚えていないんですけれど。あの頃、母親はお酒のことで毎日のように父親と喧嘩をして。弟が私の部屋に避難していて、母親も避難してきた。そこへ父親が『自殺する』と言って、包丁を持って入ってきて。私たちが止めようとしたら、『来るな』みたいな感じで、包丁を向けられた。その様子を小4だった弟ががっつり見てしまったことが、一番胸が痛かったです」
父親が自殺をはかる場面も、3回は目にしている。いつも未遂に終わったが、目にした光景はなかなか頭から消えてくれない。見つけるたび母親に知らせ、母親が父親を止めに入った。
競技にはもう戻れないと思った理由
ついに舞さんたちが家を出たのは、その年の10月だった。父親がある宗教団体に入り、もはや状況が変わる見込みはないと判断した母親は、子どもたちを連れて別居を始めた。
受験や進学の費用が心配だったので、舞さんは塾をやめ、絞り込んだ大学だけを受験した。結果、第一志望に無事合格することができ、胸をなでおろした。
「ずっと一緒に勉強していた友達がいたんですが、2人とも母子家庭で。その子たちが話を聞いてくれたりして、支えになってくれました。そういう友達が近くにいたのが、運がよかったかなと思っています」
大学に入った舞さんは、家を出て一人暮らしを始めた。学費や生活費はバイトを3、4つ掛け持ちして、なんとか賄った。父親は離婚を拒み、よりを戻したがっていたが、母親は応じなかった。
それから数年は、何度も記憶に苦しめられた。「なぜ自分ばかり?」と思ったし、「昔に戻りたい」とも思った。町でたまたま会った父親の変わり果てた姿に、悲しくなったこともある。泣いてばかりいた時期も長かった。
落ち着いてきたのは、時間のおかげだと舞さんは言う。忘れたい気持ちが強かったせいか、あの頃のことは、もう思い出せなくなった部分もある。
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