がん通院1年、65歳彼が自宅で迎えた穏やかな最期 在宅緩和ケアを選び「亡くなる18日前までゴルフ」

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いよいよ来たかと思った僕は、Kさんにこう伝えました。

「これからは1カ月単位でものを考えてください。これから1カ月の間はやりたいこと、やらなければいけないこと、やり残したこと、全部やってしまってください。そして1カ月後にまた同じように考えて次の1カ月を迎えましょう」

奥さんはちょっとだけ泣きそうな顔になって、天井を見上げていましたが、Kさんの顔はさっぱりしていました。

「大丈夫ですよ。それより痛み止めだけお願いします。痛いとゴルフができないからね」

Kさんは外来で会うたびにやせていきましたが、痛み止めの増量以外はリクエストもなく、不安を口に出すこともありませんでした。「さすがにコースに出るのは控えていますけどね」と、にやっと笑うKさん。奥さんの話だと、庭での練習は続けているとのことです。

亡くなる前日に「まだ自分のことはできるよ」

そして、2週間後の外来で僕はKさんからまさかのスコア報告を受けました。

「平らなコースの誘いがあったんで、よれよれでも回れるだろうと思って行ってきちゃいました。でも、さすがに飛びませんでしたねえ。残念!」

日常生活を続けているおかげか、ゴルフの練習のおかげか、Kさんには亡くなる直前までふつうに暮らせる体力と心が揃っていました。

しかしとうとう、Kさんが診療所に来られなくなり、僕は初めてKさんのお宅に伺いました。ベッドで眠り続けるKさんに声をかけると、ゆっくり目を開けましたが視点は定まらず、また引き込まれるように眠りに入っていきます。確実に意識が遠のいています。

前日、Kさんは痛み止めが効いて動けるようになり、一人でトイレに行き、二階の寝室から下りてきて居間で牛乳を少し飲んだそうです。そしてご家族に、「まだ自分のことはできるよ」と言って、階段を上がって寝室に戻ったそうです。

僕は奥さんからその話を聞いたあと、娘さんと息子さんも呼んでもらい、「今日明日だと思います」と伝えました。

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「Kさんは返事はできないかもしれませんが、聞こえています。話したいことや伝えたい想いを伝えてみてください」

その晩、Kさんは息を引き取りました。ご家族三人で最期を見届けたそうです。奥さんがKさんの手を握り、「天国でもゴルフしてね、わかった? わかったら手を握って!」と話しかけると、Kさんは手を握り返してくれたと言います。

1年間の外来通院とたった1日の訪問診療。亡くなる18日前にゴルフコースをラウンドして、前日に「まだ自分のことはできるよ」と言ったKさん。在宅緩和ケア医の僕を上手に利用して、普段通り暮らして、好きなゴルフを楽しむという人生の最終章のシナリオを自分で書き、見事に演じ切ったのでした。

萬田 緑平 在宅緩和ケア医、緩和ケア萬田診療所所長

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まんだ りょくへい / Ryokuhei Manda

1964年生まれ。群馬大学医学部卒業。群馬大学付属病院第一外科に所属し、外科医として手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行うなか、終末ケアの大切さを痛感。2008年在宅緩和ケア医に転身して緩和ケア診療所に勤務後、2017年、がん専門の緩和ケア 萬田診療所を開設。亡くなるまで自宅で暮らしたい人を外来診療と訪問診療でサポートする。

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