ひろゆきが竹中平蔵に聞く経済学者としての実績 「元来の専門は設備投資」、アメリカで受けた衝撃

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ひろゆき:アーカンソーです。めっちゃ安いとこなんですけど。アーカンソーが初めての海外でした。それでアメリカに住んで、授業受けたり、バイトしたりして。そのバイトでお金を稼げてたんで、じゃあ僕、日本に住まなくてもいいやっていうのがわかってしまった。そこからはちゃらんぽらんな生き方をしようってことです。今フランスに住んでるのもその延長線上かもしれません。

竹中:へえ。すごいな。

ひろゆき:別に竹中さんも、外国でも暮らそうと思ったら全然暮らせるじゃないですか。

竹中平蔵がアメリカに渡って見えたこと

竹中:いや、私は外国に対する憧れがすごくあったけれど、時代も違いますから外国なんてそんな簡単に行けなくて。官僚は嫌だけど公のための仕事をしたいと思ったので、政府系の銀行に入りました。そこで幸いにしてアメリカに勉強に行く機会をもらったんですね。

そのときの衝撃ってすごくて。憧れがすごく強かったこともありますが、みんな自由に生きていることに驚いたんです。こんなに自由に生きていいんだっていうことを知ったっていうのが一番大きい。そして、ロジカルにいろんなことを議論することの素晴らしさとカッコ良さをすごく感じたんですね。

私が初めてアメリカに行った1980年ごろはちょうど日米貿易摩擦の問題が表面化した時期でした。その約2年前に『ジャパンアズナンバーワン』という本が書かれていて、その著者であるハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授の日米研究プログラムのメンバーになったんです。そこで日本の主張とアメリカの主張、日本的な考え方とアメリカ的な考え方の両方を知り、様々な刺激がありました。日本にはものすごい良いところがたくさんある。素晴らしい国だと思う。でもここは直さなきゃいけない、というものがあるし、それがアメリカに行くことで初めて見えたような気がしましたね。考える素材をもらえたなって。

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