「予期せぬ妊娠」した韓国女性たちの苦渋の選択 貧困だけが子どもを育てられない理由ではない
ソウル中心部からほど近い地下鉄の駅からバスを乗り継いで15分。名門、延世大学裏手にある住宅街の緩やかな坂を上っていくと、アートセンターのような4階建ての建物が見えてきた。1960年、アメリカ人宣教師、ヴァン・エラン氏が始めた愛蘭院の本部だ。当初は小さな一軒家だったが、その後2軒に増え、建物となり、現在の建物は2017年に新たに建てられた。
中に入ると、赤ちゃんの声が聞こえてきた。1階にスタッフ室、2階から4階までは母親と子どもたちが居住する6畳ほどの広さのワンルーム数部屋と共同のシャワー室、化粧室、洗濯室があり、さながら大学の寮のような雰囲気だ。屋上には野外テラスもある。建物は中央が吹き抜けになっていて、見下ろすと、地下のホールでは乳母車に乗った数名の赤ちゃんをそれぞれのシッターさんがあやしているのが見えた。地下には学校や食堂などがある。
物理的支援に加えて、相談も行った
愛蘭院は朝鮮戦争(1950〜53年)後の混乱期、家出をした少女や風俗業界などで働いていた女性を支援したことから始まった。思いがけない妊娠により出産しても厳しい環境にあった母親の多くは子どもを養子縁組に送った。しかし、子どもを送り出すと子を失った喪失感や懺悔の気持ちなどから精神的に不安定になり、うつ病になったり、自身を虐待する人もいたという。
姜英実院長が言う。「エランさんはそんな母親に手を差し伸べることを始めました。画期的だったのは物理的支援だけではなく、当時、韓国社会にはなかった『相談』という概念を取り入れたことでした」。
社会福祉士にも教育を行い、相談、治癒に及ぶ総括的な支援を行う施設を作っていった。エラン氏がアメリカに帰国後の1983年には国から社会福祉事業法などにより施設としての許可を得た。しかし、そのときまでも思いがけない妊娠、出産をした母親には子どもを施設や養子に送る“子どもを放棄する”選択肢しかなかったと姜院長は話す。
「思いがけない妊娠をわたしたちは『危機的な妊娠』と呼んでいます。これは未婚者だけでなく誰にでも起きうること。母親は子どもを妊娠、出産することで自分の人生に大きな変化が生じます。そんな大きな岐路に立っていても家族にも誰にも助けを求めることができない、孤立している女性が存在します。
長く危機的妊娠、出産をした女性の支援に携わって来ましたが最初は養育できないのは貧困が問題だと思っていました。ところが、貧困でも家庭が維持されている家族もいる。育てられる環境、人の助けがあればできるのです。子どもは実の親が育てるべきで、ならばそんな社会システムを作ればいい」
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