岩倉使節団は、これまで欧米諸国になんとか認めてもらおうとしてきた。だが、そのへつらう姿勢こそが、対等な関係を難しくしているのかもしれない。また、国際公法 (万国公法)にふさわしい振る舞いを心がけてきたが、ビスマルクはこう喝破している。
「もし大国が利を争った場合、もし自国に利ありとみれば公法に固執する。だけれども、いったん不利となれば、一転、軍事力をもって力でものを言うにすぎない。だから、公法はつねにこれを守らなければならないというものではないのだ」
もちろん、これは大国であるイギリスやフランスのふるまいを見て、ビスマルクが抱いている実感にすぎない。しかし、大久保には、腑に落ちるものがあったことだろう。
薩摩藩の下級武士からここまではい上がってきた過去を振り返ってもそうだ。強い者におもねるだけでは、状況は悪くなるばかり。パワーバランスを熟考したうえで、自分の強みを生かして、時には大きな勢力とも対峙する。それこそが大久保が生きてきた道でもあった。
ドイツでの感動をいち早く西郷に伝えようとした
ビスマルクの言葉に、大いに感銘を受けた大久保。ベルリンの地から日本にいる西郷隆盛や吉井友実に宛てて、次のような手紙を書いている。
「ドイツは他の欧州の各国とは大きく異なり、淳朴なところがある。ドイツの滞在時間は短いくらいだったが、ビスマルク、モルトケという大先生に面会できたのは、大きな収穫であった」
「淳朴」とは、素直で飾りけがなく自然なさまをいう。大久保はドイツという国に親近感を覚え、その感動を西郷にいち早く伝えようとしたのだ。
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