「中絶」がタブー視される日本人女性の気の毒さ 中絶がいまだに「罪」とされるのはなぜなのか

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つまり、出生100に対して、15件の中絶が行われている、という割合だ。1950年から2020年の間に、日本では3900万件の人工妊娠中絶が行われており、「めずらしい」とは言えない。

だが、これだけ中絶が広範に行われているにもかかわらず、日本における中絶の位置づけは屈辱的なものだ。中絶は1880年に「堕胎の罪」が刑法で定められて以来、犯罪とされてきた。女性には1年以下の懲役、医師には3月以上5年以下の懲役が科せられうる。

しかし同時に、1948年、戦争で疲弊した日本があまりに多くの子どもを育てる余裕がなかった時代に、過剰な出生を制限するために、一定の条件の下で許可されるようになった。つまり、「身体的又は経済的な理由」による中絶を認めたのである。

「二重の道徳的負担」を妊婦に強いている

だが、今この世の中で「経済的な理由」による犯罪が許されるだろうか。そんなことを支持する国会議員がいるだろうか。にもかかわらず、多くの女性、そして男性に影響を与える非理論的な議論の矛盾を取り上げる議員はいない。進歩的だと思われていた野田聖子氏でさえ、筆者が直接「中絶は非犯罪化されるべきか」と尋ねたところ、その考えを支持しなかった。

作家のアレクサンドル・デュマは、『モンソローの奥方(原題:La dame de Montsoreau)』の中で、宗教上魚を食べるように命じられている金曜日に、鶏肉を食べるために鶏に「鯉」の洗礼を施す神父を登場させたことで知られている。日本の中絶のスタンスは、禁止としながら、一方では許容していて、デュマの小説の鶏でありながら、鯉と扱われるのに少し似ている。

日本では結局のところ、女性の中絶を認めているため、「大きな悪」には見えないかもしれない。だが、こうした「偽善」は妊婦に二重の道徳的負担を強いることになる。女性自らによる「産む・産まない」という選択が認められていないため、女性は堕胎という「罪」を犯すための言い訳を「でっちあげ」なければならない。

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