「マンピーのG★SPOT」芥川龍之介が出てくる痛快 「洋楽の肉体性への欲求」とデタラメ言葉の遊び心
ポイントは桑田佳祐の作曲法にある。桑田は自著『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』(新潮社)でこう語っている。
デタラメ英語を日本語に置き換える
この本は84年の刊行なので、95年時点の作曲法とは異なっている可能性もあるが、でも基本は変わっていないだろう。まずはデタラメ英語をハメながらメロディを作り、次にそのデタラメ英語を日本語に置き換えるのである。
ということは「芥川龍之介~」も、最初はデタラメ英語だった可能性が高い。そのデタラメ英語に近い発音やリズムの日本語が、たまたま「芥川龍之介」と「スライ」だったということになる。
だから、文字にしてみるとナンセンスとシュールの極みなのだが、歌ってみると、その響きに必然性が発生して、「絶対にこの言葉の並びでなければダメなんだ」という感じが湧き上がってくる。
言ってみれば、ここでのナンセンスは単なる「無意味」ではなく「意味からの解放」である。桑田佳祐は、歌詞世界を意味から自由にした上で、ビートや発声と有機的に連携させて、肉体的な総合芸術(妙な言い方だが)へと進化させたのである。
歌い方も重要である。まず「あくたがわ」は「acたがわ」と発音したい(「あく」を英語的に)。また「たがわ」と「スライ」はどちらも文字を詰めて歌う。「ほざいたと言う」の「と言う」は「てゅー」と発音。
ぜひ一度、歌っていただきたい──「♪芥川龍之介がスライを聴いて〝お歌が上手〟とほざいたと言う」。
私にとってこのフレーズは、声に出して歌いたい日本語の最高峰である。
前回:「勝手にシンドバッド」が強烈な印象を残した必然(6月17日配信)
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