「マンピーのG★SPOT」芥川龍之介が出てくる痛快 「洋楽の肉体性への欲求」とデタラメ言葉の遊び心
では、「マンピーのG★SPOT」のような言葉に、桑田佳祐を向かわせたモチベーションは何なのだろう。単純なサービス精神や遊び心によって、なのだろうか。
私が思うのは「洋楽の肉体性」への欲求である。
そもそも洋楽には、黒人音楽も含めて、エロティックな歌詞の曲は山ほどある。日本人が知る中では、比較的上品な部類のビートルズでさえ「道路でヤろうぜ」(《Why Donʼt We Do It In The Road?》)という曲があるくらいなのだから。
しかし、洋楽フリークだった桑田佳祐少年が耳にした、日本のグループサウンズやフォークの歌詞はどうだったか。ビートルズへの思いを押し殺し、「花・星・夢」など少女趣味的な単語で塗り固められたグループサウンズの歌詞、ボブ・ディランへの思いを押し殺し、四畳半でキャベツかじりながら銭湯に通うようなフォークの歌詞。
さらに、日本(語)のロックが勃興し始めても、歌詞は「♪風をあつめて 蒼空を翔(か)けたいんです」であったり「♪君はFunky Monkey Baby」であったりと、今ひとつしっくりこなかったのではないか。
アーティスト:はっぴいえんど
作詞:松本隆
作曲:細野晴臣
アーティスト:キャロル
作詞:大倉洋一
作曲:矢沢永吉
桑田少年にはすべて借り物の言葉に聞こえた?
桑田佳祐少年には、すべて借り物の言葉に聴こえたと思うのだ。そして、一部の洋楽のように、もっと肉体的で、下半身からストレートに撒き散らされるような言葉で歌いたくなったのではないか。その結果が《女呼んでブギ》であり、《マンピーのG★SPOT》だった。
肉体的な表現には強いインパクトが宿る。強いインパクトには広い一般性が宿る。なのに他の音楽家は、恥ずかしいのか面倒くさいのか、肉体的な言葉からは距離を置き続ける。結果、桑田佳祐には、「洋楽の肉体性」による先行者利益が、未だに保たれている状態と言えるだろう。
サビのメロディを階名で示せば「♪あれは・マンピーの・Gスポット」が「♪ミソラッ・ドララ・ドーッド」(キーはEm)。「♪(マン)ピーの」で「♪ラ→ラ」と1オクターブ急降下するのが面白い。
ポイントは「マン(ピー)」。ド(実音でG)という最高音であることと、かつ1拍目が休符になっていること(♪あれは・ウン=休符・マンピーの)によって、2拍目の「マン」の音に肉体的なエネルギーが爆発する。
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