「21世紀の日本人」を知るための「神道」という教養 粗雑で暴力的な「純粋化」という誘惑に抗して

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10年ほど前にようやく願いが叶って、自分の道場を持つことができた。道場正面には合気道開祖植芝盛平(うえしばもりへい)先生の肖像写真、鴨居の上には神棚(地元の元住吉神社と出羽三山の祭神を勧請している)と二代道主植芝吉祥丸(きっしょうまる)先生の揮毫された「合気」の扁額、入り口の上には私の師である多田宏先生が書かれた「風雲自在」の扁額を掲げた。

ご存じの方もいると思うが、植芝盛平先生は大本の信者であり、出口王仁三郎(わにさぶろう)によって武道家として立つことを勧められ、京都府綾部市の大本本部内に「植芝塾」を開いたことから武道家としてのキャリアを始められた人である。現在の合気道には大本の気配はもうほとんど残ってはいないが、植芝先生が採り入れられた古神道に由来する「天(あま)の鳥船(とりふね)」を行する人はまだ多く、私の道場でも行っている。

井上正鐵(まさかね)の創始した禊教(みそぎきょう)の流れを汲む一九会(いちくかい)という修行団体が東京にあるが、私はこの会員でもあり、定期的に行に参加している。一九日は山岡鐵舟の命日であり、この会の最初の指導者小倉鉄樹(てつじゅ)先生が鐵舟最後の弟子であったことによってこの名がある。ここは禊祓(みそぎはらい)と坐禅を併せて行う典型的な神仏習合の宗教団体である。

夏になると芦屋に滝行に行く。私たちが行く滝は不動明王堂と二つの小さな社を持つ典型的な修験の行場である。ずいぶん長い間放棄されてきたこの滝を先年河野智聖(こうのちせい)先生が再発見して、行場として蘇生させた。夏場の滝行はまことに気分がよい。

稲作以前に存在したかもしれない「原神道」

以上が私と神道のつながりである。島薗先生は本書の終わりの方で「広い意味での神道的なものへの人気と、修験道や陰陽道への人気」(『教養としての神道』344頁)について言及されているが、私はまさにそのような「人気」の担い手の一人である。だから、私にとって神道は「教養」であるより先に(よく意味がわからないままに)「実践」してきたものである。私は本書の「読者」である以前に本書の分析「対象」なのである。当の分析「対象」が、分析を書評することが権利上許されるのかどうかよくわからないが、私自身は島薗先生の説明によって、「自分が何をしているのか」についてずいぶんと理解が深まった。その点についてまず感謝申し上げたい。

本書では神道の歴史がていねいに論じられる。私たちが本書からまず学ぶべきことは、神道の歴史が単線的に発達してきたものではなく、仏教や儒教とのかかわりの中でさまざまな変容を遂げてきたということである。にもかかわらず、「神道の基層」(前掲書82頁)というべきものを保持しており、遷移を通じて、ある種の同一性を保っているということである。ただし、その同一性というのは、「これがそうです」と言って単離して取り出せるようなものではない。

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