日米「核の傘」強化と中国へ核軍縮を促す重大背景 日中関係と核兵器の半世紀、日本に求められる事

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さらにこの時期の米中関係にも、核兵器をめぐる米中戦略的安定の原型ともいえる考え方を見いだすことができる。ニクソン政権中期には中国の第二撃能力の残存性を完全に破壊することはできず、事実上中国の最小限抑止力を認めざるをえないという見方が提示されるようになるからだ(国家安全保障戦略覚書第169号、1973年5月)。こうして中国の核戦力は最小限抑止として位置づけられ、アメリカは中国の核戦力を無力化する方針を表明することを控えるようになった。

こうした暗黙の米中戦略的安定性は、中国の大陸間弾道弾(ICBM)の配備数を長年20発程度に限定してきたこと、アメリカのミサイル防衛が中国の抑止力を損なうものではない、と繰り返し表明したことによって、間接的に保たれてきたといってよい。

核実験と台湾海峡危機による核問題の再燃

日本国内の中国の核兵器に対する問題意識が再び高まったのは、1995年5月と7月に中国が実施した地下核実験に対して、日本が一方的に新規の無償資金協力を凍結したことである。当時は包括的核実験禁止条約(CTBT)の交渉過程で、中国がいわば駆け込み実験を実施した事例と捉えられた。日本政府は、村山富市首相、河野洋平外相をはじめとするさまざまなレベルで遺憾の意を伝え、核実験の停止が明らかにならない限り、無償資金援助を停止することを決定した。

1995年から1996年にかけての中台関係の緊張と中国の台湾海峡における大規模ミサイル演習は、台湾をめぐる軍事的衝突の緊張を高めた。中国人民解放軍の熊光楷副参謀総長(当時)は「もしアメリカが台湾に介入したら、中国は核ミサイルでロサンゼルスを破壊する」と発言したとされる。同様の発言は2005年に中国国防大学の朱成虎院長(当時)が、アメリカが台湾有事に介入した場合、中国は核兵器で反撃すると発言している。こうした論点は、日本を取り巻く紛争が米中の核戦争に発展する可能性を想起させるものとなった。

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