日米「核の傘」強化と中国へ核軍縮を促す重大背景 日中関係と核兵器の半世紀、日本に求められる事

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こうした経緯から中国は1964年に核実験を成功させ、1966年には東風2号(DF-2)中距離ミサイルを実践配備し、核兵器と運搬手段の連携「両弾」をこの時期に確立させる。さらに66年の水爆実験の成功、1971年の東風3号(DF-3)配備、さらに核兵器を運搬することが可能な戦略爆撃機の配備は、中国の「戦域抑止」の信頼性を向上させていった。

中国の核実験は日本政府にも大きな衝撃を与えた。佐藤栄作首相は、1965年1月の日米首脳会談で「中共が核を持つなら、日本も持つべきだと考える」と発言したとされる。日本核武装と核拡散への懸念は、ジョンソン政権をして核拡大抑止の「保証」を明確化させる契機ともなった。同日米首脳会談後に、佐藤は日本の核保有という方針を放棄する意思を固め、アメリカの「核の傘」に安全保障を委ねる方針を確立していった。そして佐藤は1967年12月に非核三原則(持たず・つくらず・持ち込まず)を表明し、1972年の沖縄返還に際しては「核抜き本土並み」という路線の採択に至っている。

日中国交正常化「核兵器の製造はできるが、やらない」

アメリカ・ニクソン政権による1971年の米中接近の実現は、東アジアの国際関係に構造転換を迫った。1972年7月に成立した田中角栄政権は日中国交正常化を公約として掲げ、日米安保体制と日中関係の両立に苦慮しながら、同年9月の日中首脳会談で国交正常化の基礎となる共同声明をまとめあげた。

この国交正常化に至る過程で、日中首脳の間には核問題をめぐる興味深いやり取りがある(外務省「田中・周会談記録」1972年9月25日〜28日)。

周恩来:日本は核戦争にはどのように対処するのか?・・・(以下略)
田中角栄:日本の工業力、科学技術の水準から、核兵器の製造ができるがやらない。また一切保有しない。
周恩来:日米安保条約には不平等性がある。しかし、すぐにはこれを廃棄できないことはよくわかっている。なぜなら、日本がアメリカの核の傘の下にあるのでなければ、日本に発言権がなくなるからだ。

こうしたやり取りの背景には、日本の核武装の可能性に対する周恩来の警戒感が示されていると同時に、日米安保体制の中での核の傘に対する一定の理解を見いだすことができる。これに対し、田中角栄は日本がいざとなれば核武装する能力はあるが、核兵器を保有する意図がないことを強調している。中国の核開発の進捗が緩慢なペースに留まること、核軍縮推進に対する立場を表明してきたこと、核兵器の先制不使用や消極的安全保障(非核保有国には核攻撃をしないという方針)を表明したこと、などが日中の核兵器をめぐる相互理解として醸成されたと判断できる。

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