"阪急王国"と私鉄ビジネスの原点は「池田」だった ローンで住宅分譲、「電車通勤」スタイルの元祖

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当時は会社勤めのサラリーマンが増えていた時代とはいえ、大半の人は農業をはじめとする第1次産業に従事していた。池田は中世から酒造りが盛んだったが、近隣の伊丹や宮水を擁する西宮・神戸一帯に広がる灘五郷に押されて江戸後期から酒造業は衰退していた。そのため、植木・園芸や石炭業の従事者が多かった。農業以外では、家内制手工業的な町工場や同じく家族経営の商店が中心だった。

つまり、池田では家と職場が同一もしくは近接する生活スタイルが一般的で、通勤という概念は希薄だった。小林が思い描く、郊外に一戸建てを構えて都心に通勤することなど考えられる状況にはなっていなかった。

小林は、池田新市街地のターゲットを大阪で働くサラリーマンに絞った。大阪市は工業化の進展により、大大阪市と称されるほどの勢いがある都市に発展していた。一方で工場からの排煙で大気汚染は激しく、生活環境は悪化。小林は健康的な池田に住居を構えて電車で大阪に通うという生活スタイルを提唱する。先述したPR冊子は1万部を制作したが、それらの大半は大阪市内で配布された。小林の想定した通り、池田新市街に居住した住民は、池田駅から電車に乗って通勤した。

池田に駅ができるまで

池田駅は池田町(現・池田市)に初めて開設された駅だが、それまでにも池田に鉄道駅を開設する計画はあった。1891年、川辺馬車鉄道が尼崎港―伊丹間を開業。同社は伊丹の主要産業だった酒造業や明治期に勃興した紡績業による出資者が多くを占め、製品輸送を目的としていた。

やがて同鉄道は輸送力を増強するべく、馬車から蒸気機関車へと転換。社名も摂津鉄道に改めた。同時に路線を北へと延伸し、池田と川西の境に流れる猪名川付近に停留所を設置。停留所は川西に所在したが、停留所名は池田が採用された。

【2022年5月16日16時00分追記:初出時、一部の地名に誤りがあったため上記のように訂正しました】

その後、摂津鉄道は阪鶴鉄道に統合。同鉄道は宝塚駅まで延伸したが、1907年に国有化された。同社の経営陣たちは、新たに鉄道会社を立ち上げるべく阪鶴が保有したままになっていた大阪―池田間の敷設権を活用する。これが箕面有馬電気軌道へとつながっていった。

旧加島銀行池田支店の建物は文化財として保存され、現在は商店として活用されている(筆者撮影)

同軌道の沿線は農地が広がるだけで、需要が見込めるエリアではなかった。開業した当初、農村地帯を走る電車は“みみず電車”と揶揄されるほどだった。地域は近代化の波にも乗り遅れていた。明治期、地域の富農や実業家は経済的発展のために次々と銀行を設立していた。ところが池田には西宮銀行池田支店と摂池銀行の2つしかなかった。

【2022年5月16日16時00分追記:初出時、銀行名に誤りがあったため上記のように訂正しました】

だが、電車が走り始めると、大阪につながったことから経済が活発化していき、地元有志が池田実業銀行を設立。1917年には、大阪市に本店を置く加島銀行が支店を構えた。

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