何か、根本的な勘違いがある。
近所に図書館がある。今日、カードを作った。ネットで調べて気になった本を色々と読んでみよう。図書館を越えて少し歩くとスターバックスがある。図書館で本を借りた後、スタバで2時間ほど読んだ。これを生活の基本としてみるのはどうだろう。読書を生活の中心に置く。本を読んで考える。とにかく今は時間だけはある。働いていた頃は本を読むにも時間の限界があった。今はもっと読める。考えることができる。どうすれば、もっとましな自分になれるのか。
人間心理についての本を読めば自己理解は深まるのか
図書館に通って本を読んでいる。最寄りの図書館は小さくて蔵書も少ない。しかし、図書館のサイト経由で京都市内の他の図書館の本も簡単に取り寄せることができた。気になる本はネットで予約して近所の図書館で受け取る。そんな習慣ができた。
最寄りの図書館は同時に10冊まで貸出可能だ。意外と多い。そんなところから驚いている。限界まで借りて、かばんに詰めて汗だくで帰宅する。「かばんぱんぱんじゃん!」と同居人に驚かれて、語呂がよいと感じた。飼いネコに図書カードを見せて、ひらひらしてみる。数回パンチして飽きられた。
「ネコってカード作れるのかな?」と同居人が言った。
たぶん、作れない。1人の人間として、ネコのぶんも図書館を使い倒したい。
まずは人間心理について書かれた本を集中的に読んだ。心理学、脳科学、行動経済学。どれも面白かった。しかし、面白いが少し強すぎた。そんなクレームの付け方があるかよ、と自分でも思うが、面白いというのはどこか他人事だからであり、知的なものとして処理してしまえる弱みがある。読後、気軽に話のネタにできる本と言えばいいのか。
「人間って、そういうふうにできているらしいよ」
と、一般論として語れるならば、今の自分には少しちがう。「人間一般」を主語にして語られる本を求めているわけではない。雑談のネタは要らない。数時間の知的興奮も要らない。今、人生でもっとも利己的になっていると感じる。なぜ自分はこんなに悩んでいるのか。そうした問いを考える助けになりそうかどうか、嗅覚だけを頼りに判断している。
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