老舗ホストクラブのホストたちが、客のマダムと店で踊るため、ダンスを習いに来ていたこともあった。ホストたちのほとんどは遅刻もせず、真面目に練習していたという。ほかにも、ライブ用の振り付けからダンスまで習いに来る地下アイドルなど、歌舞伎町らしく多様な人が訪れているのだそう。
そもそも、どういった経緯で歌舞伎町に教室を開いたのか?
橋本「水道橋駅の近くにダンス教室があったんです。当時、会社員だった私が、先輩と一緒に通い始めて、そこで恩師の先生(故人)と出会いました。その先生に誘われて、プロダンサーに転向したんです。しばらくして教室が立ち退きになって、先生から一緒に教室を始めようと」
恩師に誘われ、橋本さんは一緒に西武新宿ダンス教室を立ち上げた。この場所は以前もダンス教室で、前のオーナーが辞めるタイミングで引き継ぎ、居抜きで借りることができた。歌舞伎町を選んだのは、たまたま条件とタイミングが合ったからという理由で、さして大きな意味はなかったのだ。
かつては歌舞伎町らしい光景があちこちに
とはいえ教室を始めた当時、1970年代の歌舞伎町は、故・石原慎太郎元都知事による「歌舞伎町浄化作戦」が実施されるはるかに前のこと。怖い、危ないと言われていた時代だが、抵抗はなかったのか?
尋ねると、橋本さんは「全然なかったです。歌舞伎町でも、ちょっと中に入るといろいろあったかもしれないけど、(教室がある)表通りだとそうでもないじゃないですか」と笑い飛ばす。だが、トラブルに巻き込まれたことはないが、かつては歌舞伎町らしい光景があちこちで見られたという。
比美野「前は援助交際が目的のおじさんがたくさんいましたね。私、小学生のときからこの教室に通っていたのですが、途中でよく声かけられましたよ」
橋本「エステで働く中国人や台湾人の女の子たちもいっぱいいましたね。このビルにもお店があって、よく路上で呼び込みをしていて。あるとき、うるさいと思ったら、そのエステの子が、違うエステの子たちと大喧嘩していました」
比美野「昔は血がついた人と同じエレベーターに乗ったこともあったけど、今はないです。暴力もほとんどないと思いますよ」
橋本「今は街中に防犯カメラがついているし、警備の人も巡回している。ボランティアの人がゴミ拾いもしているし、健全できれいになっていますよね」
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