同じくクレムリンとつながりのあるもう1人が、民族主義者であるセルゲイツェフ氏だ。彼の論文が2022年4月、波紋を広げた。それは、ウクライナ国民に対する攻撃を是認する内容だったからだ。「ウクライナ最上層部とは別に、国民のかなりの部分はナチ政権を支持したという点で同じく罪がある。彼らへの正当な罰は正当な戦争の不可避の義務である」。
この論文の発表は、ブチャなど各地でのロシア軍による住民虐殺が明るみに出たタイミングと重なる。プーチン氏の直接の指示があったかどうかは別にしても、クレムリン内でこのような住民処罰論が侵攻当初から出ていた可能性も示すものだ。
プーチンが住民虐殺を容認する国家観
いずれにしてもプーチン氏を含めたこの3人の言説の背後で共通して見え隠れするのは、ウクライナをあくまで地政学上の版図拡大の対象としか見ていないことだ。プーチン氏がウクライナ国民を親ナチ政権の虐殺から守ると言いながら、実際には住民への虐殺を容認している背景には、こうした歪んだ国家観があるようだ。
プーチン氏がこうした狂信的世界観になぜ、どこまで引き込まれたのか。国際社会はクレムリン内の闇を解明するという新たな喫緊の課題を抱えたと言える。
一方で、プーチン氏個人の世界観の後背に、もっと深いロシア社会での歴史的な「二項対立」があるということを指摘したい。国のあり方について、19世紀から続く西欧派とスラブ派の論争である。西欧的な資本主義社会への発展の道を選ぼうという西欧派の主張に対し、スラブ派はロシアが特別な国であり、ロシア正教や皇帝を核とした農村社会的な方向性を守るべきとの考えを標榜した。
スラブ派の中でも、今回のウクライナ侵攻との関係で特筆すべき思想がある。ロシアが頂点となってスラブ民族を統合していこうという「汎スラブ主義」だ。西欧の価値観と隔絶した、ロシア・東欧の帝国建設を意味するこの思想を、大作家であるドストエフスキーも晩年支持した。
プーチン政権の汎スラブ主義への傾斜が侵攻のバックボーンになっていることを端的に示すシーンが、侵攻開始後の2022年3月半ばにあった。プーチン氏の取り巻き知識人である外交専門家であるニコノフ氏(ソ連外相モロトフの孫)が、ロシアへの西欧の干渉を不当と批判する有名な愛国詩をテレビ上で鬼気迫る表情で朗読したのだ。
この詩は、国民的詩人であるプーシキンが19世紀初めに発表した「ロシアの中傷者たちへ」というものだ。当時、ポーランドに攻め込んだロシアをフランスが非難したことに対し、強く感情的に反論する内容だ。「あなた方は何を騒いでいるのか。これはスラブ人同士の内輪の争いだ。家庭内の内輪の古い論争だ。われわれを放っておいてほしい」――。
ここでニコノフ氏がウクライナをポーランドに置き換えているのは明白だ。ウクライナ侵攻はスラブ人同士の問題であり、米欧は口を出すな、ということを言いたかったのだ。プーシキンへのロシア国民の敬愛の情は外国人には想像もできないほど大きい。この朗読が、国民の侵攻への支持と、愛国心を鼓舞するクレムリンのプロパガンダだったことは間違いない。
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