一方で、西欧派的考えも今も脈々と受け継がれている。担い手は、プーチン政権から弾圧されている多くのリベラル派知識人であり、2021年のノーベル平和賞を受賞した独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のムラトフ編集長もその1人だ。
ロシアの近代史を振り返ると、表現の自由、人権擁護といった欧米的な価値が社会の主流になったのは、改革(ペレストロイカ)路線を進めたソ連末期のゴルバチョフ時代の3年間だけだと、ムラトフ氏は言う。この時代、共同通信モスクワ支局に勤務していた筆者もそう思う。ゴルバチョフ氏の代表的スローガンは「全人類的価値」だった。従来の社会主義的価値観にとらわれず、西欧的価値を受け入れるという大胆な価値観の転換を打ち出した。
スラブ派と西欧派の対立が続く
これに対し、ソ連崩壊時、当時の東ドイツでスパイだったプーチン氏は近年、ロシアの「伝統的価値」順守の必要性を強調。2人の価値観は対極の位置関係にある。つまりスラブ派と西欧派の対立は今も続いているのだ。
プーチン氏はゴルバチョフ政権を引き継いだエリツィン大統領に突然後継指名されて、2000年に大統領に選出された。親欧米派だったエリツィン氏の後継者だが、スパイ出身の新しい指導者がどんな国づくりを目指すのか、誰も知らなかった。
これに絡み、当時モスクワにいた筆者にとって苦い思い出がある。就任前、まだ大統領代行だったプーチン氏が2000年1月に明らかにした「国家安全保障概念」を読んだ際、その文言に込められた潜在的攻撃性についてきちんと理解できなかったことだ。
概念は、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大を含め、アメリカ主導の「一極支配体制」に対抗していくという姿勢を明確に打ち出していた。とくに「世界の戦略的地域にロシア軍を展開する可能性」にも言及していた。この内容どおり、ロシアは2008年にジョージアに攻め込み、2014年にはクリミアを併合した。
この不気味なプーチン時代の幕開けについて、一般国民はほとんど気にも留めていなかった。国がデフォルト(債務不履行)となり、混乱の真っただ中にあったエリツィン時代から一転、ロシアは石油価格の大幅上昇によって、過去に例のない好景気に沸いた。「石油の上に浮いた国家」とも呼ばれ、国民は一転して豊かな生活を謳歌していた。政治への能動的アパシー(無関心)状態となっていた。
だから、プーチン政権の外交方針に関心を向ける人は少なかったのだ。いわば、ロシアのあるべき将来の国家像について、国民の気がつかない間にプーチン氏が勝手に国の「自画像」を描いてしまったのだ。20年前に描かれたこの「自画像」の延長線上に今のウクライナ侵攻があると思う。
ウクライナを支援し、侵攻をどう終息させるかという問題に国際社会は集中している。だが、今から対応を検討すべき別の問題がある。それは、仮に近い将来、プーチン政権を退陣させたとしても、対応を誤れば、結局「第2のプーチン」が登場する可能性があるという問題だ。
これまで述べてきたように、ウクライナ侵攻が国民から支持を受けてきた背景には、伝統的な「反西欧」論という世論の〝マグマ〟がある。プーチン政権の現状について、米欧という敵国家群に囲まれた「包囲された要塞」となぞらえる評価がロシアで定着している。プーチン政権と、支持する国民の間には一種の連帯感があるのだ。「要塞」内に閉じ込められた国民について、銀行強盗に人質にされるうちに犯人と意気投合してしまう「ストックホルム症候群」に例える専門家もいるほどだ。
現実問題として、今回の侵攻を受けて、ロシアへの嫌悪感が世界中で高まるのは必至だ。クレムリン寄りの政治評論家であるマカロフ氏は、根強い歴史的反ユダヤ人感情を念頭に「ロシア人は新たなユダヤ人だ」と新たなルッソフォビアの高まりを指摘し始めているほどだ。
大事なことは、国民が「要塞」の内側から扉を開けて、
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