テレビに踊らされる人々が生まれた歴史的な必然 20世紀を代表するメディアの誕生に隠された思惑
当時のテレビは非常に高価で、フォルクスワーゲンが1000マルクほどだったのに対し、テレビは2500〜3500マルクと車の2、3倍もの価格でした。当然一般の国民は手に入れることができなかったため、手にしているのは党関係者や役人といった限られた人のみ。そこで、1935年に始まっていたテレビの定時放送を国民に見せるために、ナチスは「テレビ室」という施設を考え出しました。
これは郵便局や公共施設などの一室に設けられたテレビの周りに椅子が並べて置いてある部屋です。こうしたテレビ室は1936年8月の段階で、ベルリン全体で約75カ所。この数は1939年9月の開戦まで増えつづけ、最高で500カ所にまでなりました。
国民は娯楽を楽しみつつ宣伝に染まっていった
基本的にナチス政権下での放送は、ヒトラーの演説など政治色の強いものではありましたが、料理番組やお見合い番組といった娯楽番組も多く放送されました。その理由は、ナチスが国民の娯楽を重視していた政権であったというのもありますが、娯楽番組を多く放送することで、多くの大衆の心を摑むという裏の意味もあったわけです。
こうして一般市民は娯楽を楽しみつつ、次第にナチスの宣伝に染まっていったのです。
ナチスのテレビ放送では、1936年のベルリンオリンピックに際してオリンピック史上初めてのテレビ中継も行われました。しかし、先にも述べてきたように、その目的はナチスを宣伝するためです。多くの技術者たちの努力の結晶ともいえるテレビは、こうしてプロパガンダの手段へと変貌しました。
当然ナチス以外でもテレビを使ったプロパガンダは行われています。例えば東西分裂時代のドイツでは、双方が自国の優位性、正統性をアピールするためにテレビ番組が制作され、東ドイツが『黒いチャンネル』、西ドイツが『赤いレンズ』という番組を放送していました。この番組内容はどちらの国でも、双方の司会者が相手国を非難したり、誹謗中傷を行ったりするものでした。
また、海外で軍事パレードがあったというニュースを見ることもありますが、これもそうですし、兵器の開発、元首の演説といったものも、該当の国でニュースで報道する背景には、自国の軍事力や指導者の権威を強調するといった目的があります。
さらに身近なところでは、国のCMなどに人気タレントを起用することもプロパガンダの一つといえるでしょう。
テレビだけではなく、現代の社会ではさまざまな発信方法が存在しています。それは楽しむため、また情報を得るために視聴しているわけですが、発信側の思惑次第で情報操作や印象操作もできるという危険も持ち合わせているのです。
(※記事で紹介している史実については著者が調べたものですが、諸説あるケースもあります)
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