源平合戦で木曽義仲の活躍支えた「謎の参謀」正体 文武の達人「大夫房覚明」とは何者なのか

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木曽義仲は信濃国(長野)で挙兵した(写真:nakamura.com/PIXTA)
NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送で、源氏や平氏の歴史に注目が集まっています。源平合戦において、平家打倒で大きな役割を果たした源頼朝の従兄弟「木曽義仲」です。破竹の勢いで進撃した義仲には、それを支える参謀「覚明」がいました。覚明がどんな人物だったのか、歴史学者の濱田浩一郎氏が解説します。

治承4(1180)年9月、信濃国の木曽義仲は挙兵し、平家方の武将を次々と破っていく。越後の豪族・城氏を横田河原合戦(信濃国)で破り、寿永2(1183)年には、越中国の砺波山で平維盛(平清盛の孫)率いる北陸追討軍と激突することになる。

勢いにのる義仲は信濃にありながら、越前国に「火打城」を築かせる。『平家物語』によるとその数6000余騎、平泉寺の長吏(寺の長)、斎藤太、林六郎、富樫入道らが城に立てこもったという。彼らは、横田河原合戦後に義仲の直属の家来になった。義仲は、彼ら北陸の武士たちに火打城を守らせ、平家の大軍の侵攻に備えようとしたのである。

平家の軍勢は城を囲むも、城の前後は山で、川も流れている天然の要害であったので、容易に攻めることはできず、日数が経つばかりであった。

平泉寺の長吏・斎明の裏切りで落城

勝敗はその後もなかなか決しないかに見えたが、城内にいた平泉寺の長吏・斎明が実は平家に心を寄せていたことから、思わぬ事態となる。斎明は平家の陣に矢文を射込み、城の前にある湖が人工であり、もろいことを知らせたのであった。平家方は、斎明の言うとおり「足軽を差し向け、柵を切り落とし」湖から大量の水を吐き出させたうえで、攻め込み、ついに城を落とす。

平家は加賀にも攻め込み、同国の篠原で勢ぞろいする。大手(城の正面)の大将軍は平維盛、平通盛。侍大将は越中前司盛俊、7万騎。搦手(城の裏側)の大将軍は、平忠度、平知度。侍大将は武蔵三郎左衛門、3万騎(『平家物語』)。

木曽義仲は平家軍の進出を聞いて、越後から急いで向かう。義仲には平家の大軍を破るための秘策があったようだ。『平家物語』はその秘策について、木曽義仲は次のように言ったと記す。

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