単純作業をなくしても、「創造性」には繋がらない オートメーション化に潜むワナ

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また、最近では医学の領域においても、オートメーション化の影響は大きい。

電子記録を採用しているプライマリーケアの医師たちを対象にした研究では、「医療知識の減少」「患者をステレオタイプで見ることの増加」など様々な観点から、スキルの低下を確認することができたのだ。

単純作業を機械に任せても創造的な仕事はできない

にもかかわらず、なぜ世の中はオートメーション化の道をまっしぐらに歩んできたのだろうか。そこにはデカルト以来の二元論に基づく、大きな誤解が存在していた。それが著者の言う「代替神話」というものである。

これは、仕事が個々のタスクに分けられ、各々は全体の仕事の性質を変えることなく個別にオートメーション化できるという、誤った前提のことを指す。「ルーティンな労働は機械に任せて、人間はもっとクリエイティブなことに専念するようになるのだ」という幻想も、このような言説に端を発するのかもしれない。

(イラスト:style-photography / Imasia)

しかし労働節約のための装置は、決してある仕事の中から切り離し可能な限られた部分のみを代替するわけでない。そしてその結果、以前は「人間の筋肉に取って代わる」役割に過ぎなかった機械が、「人間の脳に取って代わる」領域に迫りつつあることも、また事実である。

思考と行動が不可分であることを示す一例として挙げられるのが、現代の心理学・神経科学で注目を集める「身体化された認知」という概念である。「思考」を生成するプロセスは、全身の動きや感覚的知覚からも生じており、認知機能は身体の様々な場所に分配されているのだという。

たとえば美術におけるドローイングという行為が、単に思考の表現手段のみには留まらず、思考手段でもあるということにもよく似ている。

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