いつの間にかゲーム屋、それもなんか面白い--南場智子 ディー・エヌ・エー社長[下]

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 同じく営業に飛び回った川田によれば、その後のモバオク開花や、モバゲーで外部ソフトや広告を開拓できたのも、「この時期培った筋力」があったればこそだった。そして、02年度下半期、半期ベースでついに、涙々の黒字化を達成する。
 
 ちょうどその頃、カメラ付き携帯の一般化やパケット定額制の浸透で、時代はパソコンから携帯電話へ大きく舵を切る。ヤフオクを出し抜くには、とにかく新分野へ。南場はこのチャンスを見逃さなかった。

システムを外注に丸投げして失敗した教訓から、南場は自社内の技術陣を厚くしており、今度は、パソコンから携帯への地殻変動に対応する技術力も整っていた。04年3月、事業の重心をモバオクにシフト。モバオクのシステムはビッダーズと完全に切り分け、モバオクに経営資源を集中することで、携帯向けネットオークション1位の座をもぎ取った。

ちなみに、南場が直接企画に携わったのはこのモバオクまで。モバゲー開業(06年2月)、自社製作の『怪盗ロワイヤル』などソーシャルゲーム投入(09年10月)と、その後の快進撃はすべて、権限を委譲された現場から立ち上がった企画である。

モバゲーは、ダウンロード課金が主流だった当時、いち早く数十種の無料ゲームを投入して顧客を引き寄せ、アバター(サイト上の分身)や「武器」アイテムの販売とアフィリエイト(成果型広告)を組み合わせて“儲ける”仕組みを完成させた。

モバゲーもソーシャルゲームも、創業期の苦闘の中で培われた「とにかく黒字」「とにかく新分野」のDNAをしっかり受け継いでいるが、構想段階から進めたのが現取締役の守安功、川崎修平や執行役員の畑村マサ章だ。南場自身は、サービスインのパーティに招かれる側だった。

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