競争がガキとジジイしかいない国を生んだ 平川克美×小田嶋隆「復路の哲学」対談(2)

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平川:ひとつは服装がきちっとしているということもあるでしょう。ソフト帽をかぶったりして、身なりがきちっとしているし、姿勢もいいんですよね。同じ30歳ぐらいでも、今の30代よりもずっと大人びているわけです。

それを見たとき、子どもの頃見た、自分や友人の親たちの顔が、今の同世代と比べてずっと大人びていたということに気づいたんです。

小田嶋:数十年前のサラリーマンの写真の話は興味深いな、と思いました。彼らが今の30代よりもずっと大人に見えるのは、顔の造作の問題というより、写真を撮られるときの緊張感の問題ですよね。「写真に撮られるときには、大人としての表情をたたえておかなければいけない」という意志が働いているからこそ、そういう表情の写真が残っているわけです。

そういう意味では、「大人」というのは、人格というよりも「役割意識」に近いものだったんじゃないでしょうか。

「大人になれ」という圧力があった

小田嶋 隆●1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍。 主な著書に『ポエムに万歳!』(新潮社)、『場末の文体論』(日経BP社)、『もっと地雷を踏む勇気~わが炎上の日々』(技術評論社)、『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)がある。

平川:そう。昔の人のほうが内面的に立派だったかどうかということはさておき、少なくとも「大人の仮面を被ろうとしていた」ことは間違いないだろうと思います。

小田嶋:それは、自分の意志で大人として振る舞おうとしていたというよりも、むしろ周囲からの圧力でそう振る舞っていた側面が強かったということですよね。私の父親の世代でも、少なくとも30歳ぐらいになったら大人として振る舞わなければいけないというふうに、周囲から追い込まれていたように思います。

でも、私の世代になるともう、30歳を超えても、そういう周囲からの「大人になれ」と追い込まれるような圧力は感じませんでした。今の30歳だと、そもそも周囲が「大人」だと思っていないぐらいではないでしょうか。

先ほどからお話している「大人のロールモデル」としてみんなが共有するような映画俳優なり、スポーツ選手がいないというのは、そのことを象徴的に表しています。おそらく数十年前の30代というのは、多かれ少なかれ、高倉健さんが演じていたような大人像をロールモデルとして共有していた。だから、30歳になると何となく「俺はもうおじさんだから」と覚悟を決めて、若者みたいにチャラチャラするのはやめておこう、と考えたんだと思うんです。

ところが今、テレビや映画で活躍していて、若者のロールモデルになりうる人たちって、みんな「年齢よりも若く見える」人達ばかりですからね。30歳になった嵐も、40歳になったSMAPも、みんな若者であって、大人ではない。

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